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俺は兄夫婦のマンションで暮らすことになった。帰ろうとする気配を察するたびに茉莉は息をつめて俺をうかがう。茉莉は兄の妻であり家族だ。俺には妻も彼女もいない。帰らなくても誰かが困るわけではない。
茉莉の思い込みを解く機会を逸したまま、ずるずると同じ屋根の下で過ごす日々が半年の間続いていた。茉莉は今も相変わらず、俺を兄だと思っている。
照明を落とした通路を通り、最初の部屋へ足を踏み入れた。目を刺すような眩しさに思わず手をかざす。
砂漠の向こうに重なり合うピラミッドが目に入った。床に広がる砂漠は起伏がある。膝を高く上げ足を踏みしめるが、感触は硬い平面だ。地面の砂までも描かれている。砂漠は緩やかな斜面をなして壁面へとつながり、その向こうに青い空がある。遠くに小さくラクダと手綱を引く人の濃い影が落ちていた。
行儀よくスフィンクスが座り、大きな口を開けて俺たちを歓迎する。目が三日月型に笑っていた。
部屋を歩きまわり目で楽しんだあと、茉莉はスフィンクスに食われそうになっている写真を撮った。スフィンクスは嬉しそうに茉莉の頭にかぶりつこうとし、茉莉は驚いた表情を大袈裟に作っている。
「もう一枚!」
無邪気に手を振る。俺は苦笑してもう一度彼女にレンズを向けた。今度はスフィンクスと仲良く肩を組んでいた。シャッター音が響くと茉莉は俺に駆け寄った。
「次は、えっと」
俺は館内マップを見た。この美術館は順路がややわかりづらい。
「彗」
「……うん?」
俺はやや遅れて顔をあげた。
「彗は撮らないの」
「いや。俺はいいかな」
いくら兄の代わりとはいえ、並んで映るのは気が引ける。それに茉莉の知人が見ればあらぬことを言われるかもしれない。
茉莉が俺の隣に寄り添い、手にしていたマップを覗き込む。白い肌が間近になり、細い肩が触れる。俺は彼女に気づかれない程度に体を引いた。
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