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光なのか、視線なのか、想いなのか。言葉では表せない本能的な何かが陽人の胸を打ち抜いた。
1万人の観客の中に誰か一人、陽人を特別な思いで見つめている人がいる。
(誰? どこ?)
何の心当たりもなかった。でも、どうしてもこの群衆の中から、今、その人を見つけ出さなくてはいけない。そんな思いに駆られた。
観客にはハルとして最高の笑顔を見せていたが、陽人の目はその「誰か」を探して、1万人の顔の海を彷徨っていた。ときめくような、焦るような不思議な興奮が胸の真ん中で沸いていた。
「今日は、ハル君のお誕生日を祝って、特別な女性が来てくれています!」
リーダーのゲンが高いテンションでそう紹介すると、一瞬で会場はまた暗くなり、歓喜とも狂気ともいえる歓声が上がった。そして、アリーナの関係者席にスポットライトがあたった。
「ハル君のお母さん、樫村美咲さんです!」
若作りな美しさから奇跡の42歳と言われている人気女優を目にして、観客は沸いた。
「ハルママー」「美咲ちゃん」と会場のいたるところから叫び声が上がった。
VIPのための特別エリアではなく、スポットライトが届くステージ近くのアリーナ席でわざわざ見ていたなんて。誰の提案だろうか。
遠目ではあるが、美咲の白い歯が見える。恐らくはモニターにアップで抜かれているだろう。自分の顔も今、アップになっているかもしれない。陽人は引きつる頬の筋肉を必死に整え、驚き、照れながらも喜ぶ息子の表情を作った。
さっきまでの謎の高揚感は一気に冷めた。
都合のいい時だけ母親面をして、自分のイメージアップを図る母は芸能界を知り尽くした大女優だ。どこから写されても完璧な笑みをつくり、四方八方に手を振る姿はさすがだ。
もう二年以上対面していない母子だなんて、誰も信じないだろう。
母の営業行為は腹立たしかったが、陽人にも母に負けないプロとしてのプライドがある。巨大モニターに映っている自分の顔を想像しながら、できるだけ美しく、輝いて見える笑顔を作った。口角を上げて歯を見せつつ、口から息を吐く。そうすると華やかでも柔らかい笑顔になる。すっかり身についている、アイドル・スマイルだ。
わずか数分の茶番だったが、陽人にはアンコール10曲分の長さに感じられた。
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