14人が本棚に入れています
本棚に追加
帰宅するとリビングの電気が付きっぱなしだったのであちらも帰ってきてはいるのだろう。そのままマモルさんの居場所を確認することなくまっすぐ自室へ向かいゆっくりと部屋のドアを閉めてワンピースを脱ぎ落す。
三軍に落ちたTシャツとパジャマのズボンに履き替えると一旦ベッドに潜り込むまでが帰宅後の日課。
最低限メイクは落とさなければいけないしなんなら今日はシャワーを浴びないとマズい日。
それでも午前から夕方まで仕事をして、リョウと会って、ロミオからの連絡を受けてという、人との繋がりが多ければ多い程に絡まる糸を解くような時間を早急に持たなければ次の日やその次の日までこのしんどさを引き摺ってどんどん糸がこんがらがってしまう。言わばこの行為はゲームで言うところのセーブポイント。
ベッドで横になって適当なことを考えたり虚無を迎えたりして過ごし切り、何気なく目を向けた目覚まし時計がこうしてからちょうど一時間程経ったことを示していたのでやっと私は起き上がる。
タンスからバスタオルと替えの下着を取り出し、満を持して自室のドアを開けるがまだリビングにマモルさんの姿はなかった。
家に居ることは確かなので私が何にもならない時間を過ごしている間、壁を隔てて隣の部屋にずっといたのだろう。こうやってお互いが近くで息をしていることを理解しつつも実体を目にしない日はよくある。
シャワーだけで済ませた日はリビングに戻った時に湯船に浸からなかったことを後悔しがち。表面だけ温かさに触れた身体は芯まで満たされない。
そんな我儘な身体をソファーに投げ出し、肩にかけていたバスタオルで濡れたままの髪の水分をゴシゴシと拭き取りながら理由もなくテレビの電源を付ける。
この放送が今何話目なのかもわからない初めて見る医療系ドラマがなかなかにシリアスな展開で、白衣に身を包んだ女性同士の罵り合いが、私が帰宅してからずっと静寂を保っていたこの家に響き出す。
ドラマの内容が少し気になりだしたタイミングで、テレビを見ている私の真横にある部屋のドアの開く音が立体的に聞こえてきた。
「……珍しいね、ドラマ見てるの」
「あ、おかえり~」
「いや、多分僕の方が先に帰ってきてたよ」
白々しく「あ、そうなんだ」と答えると、特にそれに関して興味なさそうに「うん」と短く答えてキッチンへ向かうマモルさん。テレビの音に反応してわざわざ部屋から出て来たのだろうか。
スカした風でもこうやってあちらからコミュニケーションを取ろうとしてくれているところがマモルさんの愛おしいところ。
ドラマで展開されている熱のこもった訳の分からないやり取りに見入っているとキッチンからは冷蔵庫が開けられた音がして、それに続いてすぐに何かを言っている声が聞こえてくる。
「え、なに?」
「ケーキ、食べる?」
お昼以来固形物を何も胃に入れていなかったことと丁度甘いものを欲していたことをマモルさんのこの一言で意識させられて、ケーキは今の私にとってベストオブベストだということを知る。
勢いをつけてキッチンに身体を向けながら「食べる!」返すとマモルさんはその迫力に一度驚いた表情を見せてからフフッと短く笑ってビール一缶とケーキの入った箱を持ってきてテーブルの上に置いた。
勝手にコンビニで買ったようなケーキを想像していたのでケーキ屋さんで買わなければ見ないこの箱が目の前に置かれたことが衝撃で、私の隣に一人分程度距離を空けて腰を下ろしたマモルさんの顔を見る。
「なんのケーキ?」
「当ててみてよ」
「……かぼちゃ?」
「違います」
その「違います」の言い方に流石の高校教師らしさを感じながら箱を開けると中には決してコンビニでは売られないような、煌びやかさを存分に放ったシャインマスカットがあしらわれたショートケーキが二つ現れた。箱一杯にキラキラと、堂々と存在している。
「かぼちゃの方がよかった?」
「あんまり人に言ったことないんだけど、シャインマスカット、凄く好き」
秋になったらわかりやすくよく見かけるようになるかぼちゃやさつまいも味のスイーツに惹かれるという話はそれらが手頃だということもあって話題として量産して振り撒いていたけれど、シャインマスカットは高尚な隠れキャラだった。
秋にしかお目にかかれないということもあって好きな食べ物として自覚できるほど口にしていない可能性もあるけれど、それでも目の前に現れると好きだと言いたくなる。マモルさんは「それは良かったです」とまた高校教師らしさを漂わせながら答え、ビールを開けて口に運んだ。
わざわざお皿を出してくるのが億劫で箱に置いたままのケーキのフィルムを剥がし、サービスで付けられたプラスチックの小さなフォークを刺す。
生クリームの柔らかさ、その暴力的ではない甘さ、そしてなによりシャインマスカットの爽やかなジューシーさ。どれをとっても気高い逸品だった。
「明日仕事は?休み?」
ビールの缶を一度テーブルに置きながら横目で聞かれ、明日はどうしようか考えた末、「休みだよ」と軽めの返答を意識して答える。
明日は仕事として休みを過ごさずに、しっかり休みを休みとして過ごす日にしよう。
美味しいシャインマスカットを食べられただけで今は多幸感に満ち満ちている。
最初のコメントを投稿しよう!