英語演劇部で日本昔話の泥棒を演じた話

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 だからと言って、その後演技の道に進むということはなく、他に何か特別なことをしたわけでもなく、今に至ります。紆余曲折あったとも言えますが。  なぜこんな話をここ、エブリスタの場でさせていただいているかというと、この「自分とはかけ離れたキャラクターを、自分の中から捏ね上げて、造り出す」ということが、創作の本質に引っかかっているのではないかと思ったからです。  言わばキャラクター性の捏造です。  自分自身は悪漢でもなく、格好良かったり思い切りが良くもなく、見た目がパリッとしているわけでもない凡人ですが、このキャラクター性の捏造の作業によって、自分自身のステータスからは自由なキャラクターを、自分自身のように考えて、演じることができます。  俳優はこうは行かないでしょう。俳優の仕事には、その人自身の偽らざるキャラクター性が、その役のキャラクター性とリンクしている必要があります。声優は外見と役柄の一致までは求められないとしても、例えば美女がおっさんの役柄を、おっさんが美女の役柄を演じることはできません。  この点、小説は本質的に自由です。自分が理想とする自分だけのキャラクターを思う存分表現することができます。その理想が、社会から求められる倫理的な規範に則っている必要もないし、あるいは漫画作品のような超えがたいスキルの壁もありません。考えたことがそのまま作品になります。  というところが、私と、それから皆さんが小説を書くことの重要な動機の一つになっていると思った、というのがこのエッセイで私が言いたいことです。「この物語で、自分の中からどういう『自分ではない人間性』を捏ね上げたいか」ということを一つ柱に据えてみると、創作の方向性が定めやすいかもしれませんね。  ここまでお読みいただき、ありがとうございます。  どちらかというと『泥棒』よりも次回のテーマである『演じる』に関するエッセイという気もしますが、まあ、別にいいでしょう。  これからも楽しく創作していきましょうね。
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