千年の呪い

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千年の呪い

 一方で、辺境伯エイラード・ビクターは花嫁の訃報を聞いて眉根を寄せていた。 「崖から落ちて行方不明だと?」 その話が本当かどうかはともかくとして、敵国ユーテリスから花嫁が現れないことが問題だった。 「はい、それどころか境界近くとは言え、此方の領土内で起きたこと故、和平を望まない強硬派の輩がしでかしたことではないかとの噂が流れております」 互いに禍根の残る戦火の後だ。 和平に納得できない者がいるのは承知のこと。 それ故に儀を示す必要があったのだが、花嫁の訃報に戦火は再燃するかもしれない。 「殿下、急ぎの通達です。只今、花嫁とおぼしき女性が城門に現れたとの報告です」 「指輪は?」 「は?」 「花嫁は金環をしているのか?」 あれはこの世に二つとないエイラードの亡き母の形見の品だった。 敵国に独り貢ぎ物にされる女性に向けて、彼なりのせめてもの誠意だったのだ。 「はい、確かに金環を填めているのですが……」 ミラは見るからに不審な出で立ちの通りすがりの魔女だ。 守衛が戸惑いの色を隠せないのも無理はない。  勿論、ミラを検分したエイラードも同じだ。 けれど、ミラを花嫁だと認めなければこの戦争は終わらない。 エイラードの決断は早かった。 「よし、ならばすぐさま婚儀を挙げるぞ」 花嫁の支度を急ぐよう早急に指示を出し、あれよあれよという間に、ミラは花嫁衣装に袖を通していた。 ミラは己の純白の花嫁衣装姿に、笑みを零した。 『ミラ様、如何されましたか?』 事実として魔女だが、魔女のような不穏な黒い笑みは、純白の花嫁衣装に随分と不釣り合いだった。 「よく考えれば、花嫁となるのは初めてのことだと思ってな」 千を生きるミラでも初めてのこととは、どうやらあるようだ。 「私はある意味で不変の中を生きていると感じていたが、これは何かが変わる兆しなのかもしれないな」 ミラは戯言に呟いたことだったが、ヴィオラには気に留める言葉であった。 ヴィオラはヴィオラでミラの為に何かできることはないかと思案していたのだ。 その心遣いを感じ取ったのか、ミラは指輪を撫でた。 「ヴィオラ、あなたはあなたの来世を歩みなさい。私の望みを言おうか?私はあなたが呪いの業火に包まれる姿など見たくはないのだよ」 『私はミラ様を焼くことなど致しませんっ!!!』 「ならば、私が殺されるところを見ても平然としていられるね」 千年の定め通りならば、ミラは遅かれ早かれ処せられるのだろう。 『……』 「人の心はそう容易いものじゃあない。時には己の意思をあっさりと覆すほどに厄介な代物だ。分かるね?」 『……はい』  感情のまま、ミラを脅したヴィオラにはそれが痛いほどに分かった。 「思念だけで存在する霊魂のあなたは感情そのもの。(たが)は容易く外される。あなたには来世に赴き、一面に(ヴィオラ)が咲き誇っているかを確かめて貰いたい」 来世のヴィオラは当然にして今を記憶してはいないだろうが、ミラはそう言わずにはいられなかったのだ。 『ミラ様、またいずれ何処かで会えるでしょうか?』 稚い幼子が母を慕うように、ヴィオラはミラに情を移していた。 そして、それはミラも同じであった。 数奇な巡り合わせ。 ひとときの交わりではあったが、ヴィオラはミラの孤独を癒してくれた。 ミラは指輪に祝福のキスを贈る。 「嗚呼、いずれまた会おう」 ヴィオラにそう告げたミラは、何処か既視感に囚われた。 ――確か、以前にもどこかで……? 霞がかった記憶は原記憶かもしれない。 始まりのミラの記憶だけは何故だか定かではなかったのだ。 『ミラ様?』 ミラは額を抑え、己の記憶を探る。 誰かに今の己と同じことを告げられた気がする。 おそらくはそれがミラに掛けられた呪いの鍵となる。 『ミラ、来世で会おう。だから、その時こそ――』 火焔に混じる業火の呪い。 炎の中で交わした口付け――ミラは唇に触れる。 ミラ自身もかつて呪いの業火となったのだ。 跡形も残らず消えなかったのは、その言葉があったからだ。 ミラは現世に辛うじて引き止められた。 引き止めたのは――……。 ミラは走馬灯のように記憶の回帰に襲われ、全てを思い出した。 ――嗚呼、これほど大事なことをなぜ今の今まで忘れていたのか? あの方の終焉を嘆いた私自身の炎によって、私は身を焦がしたのだ。  魔女であるミラを匿った罪として、一緒に断罪された夫――エイラード。 火柱とされた己の目には、無惨に処せられたエイラードの姿があった。 我を失ったミラは、呪いの業火に堕ちた。 災厄となって跡形もなく消える筈だったところを、エイラードの魂がミラを引き留めたのだ。 『愛しいミラ、来世で会いたい。きっと、きっと会える。その時は――』 その冷たくも熱い口づけは、ミラの炎を鎮火させた。  千の時を経て、ここにすべてがようやく巡り揃ったことを知る。 ミラは口元を抑えて、泣き崩れた。 『ミラ様……?』 「ヴィオラ、大丈夫だ。きっと直ぐに会える」 鍵となったヴィオラとの(えにし)をミラは悟っていた。 あの時、もう一つミラと共に逝った命があったのだ。 エイラードとの間に生れてくるはずだった(ヴィオラ)。  運命の時は廻り、千年の時を超えて再び巡り逢わせてくれた。 己に填められた金の指輪は、かつての(エイラード)から贈られたそれ。  落ちて来た指輪もまた、ずっと花嫁(ミラ)を探し求めていたのかもしれない。                               ――fin.
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