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ちょっとだけ、思い出す。
「ふぅ~……」
助手席のシートに身体を沈めて、軽くため息を吐く。出来る限り、人前ではつきたくないものだけれど、まぁ、ここにいるのはフェイドラだけだから、いいだろう。
「お疲れ様でした、マスター」
少しシートを倒して、呼吸を整えていると、フェイドラが声をかけてくれた。
「うん。迎えに来てくれてありがとうね。今日はさすがに電車に乗るのは、しんどかったから」
衣装などが入ったスーツケースとボストンバッグ、後部座席にふたつ。それに、お土産の入った紙袋がふたつ。フェイドラがきっちりと受け取って、後部座席に綺麗におさまった。運転席に座りながら、彼が話しかけてくる。
「あとは特に立ち寄るところはありませんね?」
「ええ。向こうでのレコーディングと、他の仕事も無事に終わったからよかったわ。ちょっと手間取ったけれど、なんとか私が出来ることは抑えてきたから、あとは、向こうさんにおまかせね」
周囲は照明が溢れていて明るいが、時刻は20時過ぎだ。
新幹線に乗って、関西への出張なんて、ホントに久しぶりだった。
うたい手としての仕事で出向いたのだが、ちょっと「とんでもないこと」になってしまったというのが真相で、さきほどのため息も、ようやく、安心できる場所に戻ってきたという気持ちの表れでもあった。
「タニヤマが、「俺も行くことが出来ればよかったんだが……」と話していましたよ」
「あはは。タニさん、何度か連絡くれたわ、確かに」
もともとは仕事仲間でもある、谷山慎二も同行することになっていたのだが、スケジュールの都合でどうしても難しいということになってしまって、私ひとりの「出張」になった。
「でも、タニさんを巻き込むことにもなりかねなかったから……今回はこれで良しとしなければね」
フェイドラが運転するクルマは東京駅地下の駐車場から直接、首都高へと出ていく。ご存知の方もいると思うのだが、東京駅の地下駐車場は首都高と直結しているのだ。しばらくは地下を走行し、しばらくすると地上へと出る。
「葉月さんはどうしてる?」
「今日は、アヤノさんと一緒にお店でイメージングカードの話しをしていましたよ。アヤノさんも興味津々でしたし、なにやらイラストを描いておられました」
「うん、いいことね。あやのちゃんも色々、気を遣ってくれているみたい。それに葉月さん、自分からカードの使い方を覚えようとしているみたいだから、ホッとしてる」
「きっと、お嬢もマスターの帰りを待ってますから、急いで帰りましょう」
「ええ」
赤いSUVは、郊外へ向かって走る。
疲れているのは確かだったけれど、なんとなく、目を閉じる気にはならない。窓の外を流れていく都会の景色を眺めていると、フェイドラが、
「マスター」
と、声をかけてきた。
「……連れてきちゃったみたいねぇ……」
さっきから、感じている。この車のいちばんうしろのバッゲージルームのあたりに、なにやら蠢いているもの。自分の体質上、どうしてもこういうことはありがちだ。今回も、どうやら途中で拾ってきてしまったらしい。
「どうも、京都駅のあたりで拾ってきちゃったかしら」
「どうされます?」
「連れて帰るわけにもいかないわよ。フェイドラ、家に戻る前にクルマ、どこかに停めてくれる?」
「かしこまりました」
私は、スッと右の手のひらを後部座席に向ける。
『光珠』
そのひとことで、小さな光の珠が後部座席で蠢いているものを捉える。これで妙な動きはできないはず。今の私のチカラのレベルは、通常に戻っている。少し前にしっかり、睡眠をとることで調整したからね。
フェイドラがクルマを停めた場所は、とある河川敷。
遠くに電車とクルマが通る橋が見える。
クルマを下りると、光の珠も一緒に私についてきた。なんとなく、おどおどしているような、びくびくしているような……臆病なのか、それとも周囲の環境にびっくりしているのか。
『怖がらなくてもいいわよ。ここには私とフェイドラ……サラマンダー・フェイドラしかいないし、あなたの姿は私たち以外には視えないから。あなた、京都からついてきちゃったのね?私が何者か、わかっているのね?』
<なんと……なく…>
あ、声が聞こえる。ということは、ある程度の知力があるということね。
<こんなに遠く……まで、来る……とはおも、わ……なかった>
『そうね。私が今、暮らしているのは東の都だからね』
<ひがしの、みやこ……>
少し考えているようだ。たぶん、この光の中にいる「者」は、京都(京の都)から出たことがない者だろう。そして、この「者」には、きちんとした「主人」がいる。たぶん、今頃、その「主人」はこの者を探しているはずだ。
<ごめん……なさ、い>
『謝ることはないわ。私にくっついてきたということは、外の世界を見たかったということだとも思うから。でも、あなたはここにいることはできない。自分のご主人のところへ戻るのが一番よ』
<……うん>
『ご主人のところへは、私が送ってあげる』
<……え、知ってるの……?>
『ええ、ず~っと前から』
と言って、ニコッと笑うと、光の中でホッと安心したのような空気を覚えた。
この者の「主人」は、今でも京都市内に暮らしている。どんな姿になっていても、あの方は飄々としていて、いつも冷静に構えているだろう。
<……どうして、知ってる……?>
『過去、何度も何度もお会いしているからね。大丈夫、私はあなたの敵じゃないし、勝手に一緒にここまで来たことを叱るつもりはないわよ。あなたのご主人のもとへ送ってあげる』
<あり、がとう……>
ちらっとフェイドラへ視線を移動させると、小さく頷いて、一瞬のうちに本来の姿へと戻る。
<えっ?!>
『大丈夫よ。フェイドラはあなたを送るための「道」を作ってくれるだけ』
びっくりしているのは、フェイドラが日本古来の「龍」とは概念が違うからだろう。どちらかというと、フェイドラは「西洋の龍」だからね。日本古来の「龍」は「東洋の龍」、中華系の「龍」の形態を思い描いてもらうとわかりやすい。
パンッと両手を自分の胸の前で合わせる。
『………っ!』
<深紅の……ひと、み……持つ、者……!>
『我の名前は、言霊師・藤宮拓人。かの地の、かの者の式神、焔とともに、京の都へ還らん』
フェイドラが、その「路」を闇夜へと放つ。
光の珠の中に、うっすら見えてきた……水干を纏った少年の姿。
ああ、やっぱり、あの方の式神だ。とても姿がはっきりしている。
年の頃は、むっつ、ななつ……現代でいえば、小学生くらいだろう。
<ありがとう……藤宮。また、どこか……で……>
『ご主人に、藤宮は、元気ですと伝えてね』
<うん……>
焔の路は、線路を伝っていく。線路は、全国に繋がっているからね。確実に、京都へと連れて行ってくれるだろう。あ、もちろん、フェイドラが放った「焔」は、誰にも見えていないし、電車や新幹線にもなんら被害は与えない。
やがて、その焔も見えなくなった。
ヒトの姿に戻ったフェイドラが、そばに戻ってくる。
「ありがと、フェイドラ」
「はい。あの子は……日本古来の「式神」と呼ばれる存在なのですね」
「ええ。それも、かなり強力。でも、とてもいい子ね。アタマのキレる、聡明な子だわ」
「あの式神の主人とは、もしや……」
という、問いに、私はちょっと考えてから、
「フェイドラも何度かお会いしている、日本呪術界のスーパースターよ。今は、たぶん、一般の人たちに紛れて、静かに暮らしているはず。本人もそれを望んでいるから。私のような「言霊師」とは、また別の活躍をしてきた立場の人たちの……トップ・オブ・トップみたいな方ね」
と、答えた。
私は、過去に、あの方に何度も会っている。
言霊師は、もともとが古の京都に由緒を持っているものだし、あの式神の主人の「本来の仕事」も、同じく京都を拠点としているからだ。元をたどれば、「私たちの仕事」は似たものではある。
あの式神が、無事にあの方のもとへ戻れれば、何かしらの「合図」のようなものがあるだろうし、心配はしていない。
私自身が、京の都に暮らしていたこともある。
「次元の漂流者」だった時に、様々な時代の……京の都。
「さて、帰りましょう。葉月さんが待っているから」
「はい」
ふたたび、クルマに乗り込み、今度こそ、葉月さんが待つ、郊外の自宅へと走らせる。
私自身が巡ってきた、異世界、亜空間、時間の流れ。
その途中で出会った、不思議な存在である、フェイドラ。
今でこそ、私たちは「現世」で、葉月さんとともに暮らしているけれど……まだ、彼女には何も話していないし、話せないことも多い。
でも、それらにも「限界」というものがある。
窓の外は、住宅街の灯りだけ。
空を見ても、星なんてほとんど、見えない。
まぁ……こればかりは……時の流れに任せるしかないだろう。
郊外の自宅に到着すると、2階の玄関のドアが開いた。
室内からの灯りでシルエットになっているけれど、ドアの外へ出てきたのは、確かに……葉月さん。
「おかえりなさい、拓人さん」
周囲に配慮してか、小さな声だったけれど、私にははっきりと聞き取れた。
「ただいま」
今は、ここが、私の帰る場所。
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