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夢と現。
ライムグリーンのチャンパオを着た拓人さんと一緒に、街歩き。
自宅の最寄り駅から、電車を乗り継いで、窓の外を眺めていると、
「ね、シモキタ、行ってみましょうか」
と、拓人さんが言った。
シモキタ……下北沢。世田谷区北沢の周辺のことで、私鉄の駅名称「下北沢」が定着しているが、現在は下北沢という地名はない。でも、かつては「下北沢村」という村が存在していたのは事実らしい。
「シモキタ?」
「ええ」
というわけで、山手線の新宿駅で降りて、小田急新宿駅に移動する。
世界で一番の乗降客を誇る、新宿駅とその周辺の私鉄の駅。ちなみに、小田急線の快速急行と急行と各駅停車……すべてが、下北沢駅で停車する。
「私、シモキタって、あんまり行ったことがないです」
「あら、そうなの?面白い街よ、下北沢」
テレビや雑誌などでは、良く取り上げられるよね。下北沢は、小劇場、ライブハウス、雑貨屋、古着屋などのファッション関係が集まる「元祖・サブカルチャーの街」だ。今現在も、日々、古くて、新しいものが集まってくる。
「私も、シモキタのライブハウスでうたわせてもらうこともあるからね。それに……」
と、なぜか、そこで言葉が途切れた。不思議に思って、彼の顔を見上げると、少しだけ遠い目をしていることに気づく。
話しかけていいのかどうか、少し悩んだ。でも、次に彼が呟いた言葉に、私は思わず、息を呑むことになる。
「下北沢は……私が、現世に……戻ってきて、最初に辿り着いた場所だから……」
私自身の記憶にはないが、拓人さんと私は、とある「事件」に巻き込まれ、私の両親から、まだ小さかった私を預かり、拓人さんはその場を脱出した。
でも、その直後に「何かに飲み込まれてしまって」、異次元、亜空間と呼ばれる「通常とは異なる時間と空間」に放り込まれたらしい。
その後、拓人さんと私は、その次元漂流の中で離れ離れになってしまい、私は現世に、そして拓人さんはそのまま、異なる空間と時間の中を流され続けていたという。
一体、どれくらいの間、そんな場所を流され続けていたのか……彼自身が、あまり自分自身のことを話そうとしないので、私もあえて、聞くことを避けていたこともあるのだけれど………
まさか、直接的な言葉を聞くことになろうとは思っていなかった。
「拓人さん……」
「あ、でも、別に、この街が嫌いとか、そういうことではないのよ。この街は、何かと御縁があるところでもあるし、さっきも話したけれど、時々、ライブハウスでもうたわせてもらっているからね。ほかにも仕事関連でなんやかんやで来ている場所でもあるのよ」
そう言うと、やってきた電車をさして、
「さ、行きましょう」
と、私の手をさりげなくとって、電車に乗り込んだ。
地下2階のホームから、長いエスカレーターで地上へと上がる。
小田急線の下北沢駅は少し前に建て替えが終わり、ホームは2層になっていて、地下2階は急行と快速急行の、地下1階は各駅停車や準急のホームになっている。周辺の大規模な再開発も進み、それまで地上にあった線路は撤去されて、商業施設が建てられたり、ちょっとした公園になっている。
「もう、前の、小田急シモキタ駅の面影、ないわねぇ」
とは、拓人さんの言葉だ。
また、隣接している京王線の下北沢駅も工事の真っ最中。だいぶ整ってきているらしい。
とはいうものの、駅周辺そのものは、それほど変わっているわけではないらしく、相変わらず、ごちゃごちゃした街……小さな店舗が集まり、複雑に入り組んだ路地があって、色々なお店が集まり、カオスなところはあまり変わっていないという。
「わー……」
駅前は、いかにも、私鉄の駅前という感じ。早速、ごちゃついた感が否めない、でも、それがいかにもといった風情を醸している。歩いてみると、かなり道は入り組んでいて、そして、細い、狭い。その中を、人々が歩いている。心なしか、女性の姿が多い気がするんだけれど、拓人さんに言わせると、その通りらしい。
ホントにいろんなお店、あるんだなぁ。
「葉月さん、こっちこっち!ほら、これ見て!」
「え、わ!これ、いつ頃のですか?」
「かわいいデザインよねぇ。ちょっとレトロな感じがいいわぁ」
なんというのか、拓人さんって、仕事柄、確かに独特の感覚を持っている。でも、どんなことでも前向きに楽しむっていう気持ちも大きいなっていつも思っている。私が遠慮がちなことを知っているからだろうけれど、上手に話しを進めてくれるというのか……申し訳ない気持ち。
「気にしないのよ。ほら、私はこういうの、仕事柄もあるけれど、もともと、好きなことだし」
「う、うん」
ハンドメイドの雑貨屋さんで、かわいいアクセサリーを見たり、アメリカンな古着を並べているお店をのぞいたり。
たくさんの人の中を歩いて、ちょっとブレイクタイム。
立ち寄ったお店で購入したものが入った袋を足元のかわいらしい籠に収めて、互いの顔を見て笑いあう。
人通りの多いところから少し離れたところにある、小さな喫茶店。内装はとてもレトロ……昭和レトロというのか、初めての私でも、どこか懐かしいと思わせてくれる雰囲気。
「あれ?なんか、ウチのお店に似てる?」
「ああ、そうかもしれないわね。私も、「リュフトヒェン」は、イマドキの内装にはしたくなかったから。このお店は、随分と長くここにあるのよ」
お店のいちばん奥にある席で、アイスコーヒーとカフェラテをオーダー。店内は静かだ。
向かいの椅子に座った拓人さんをじっと見ていた私に気づいたのか、彼は少しだけ、困ったような笑顔を浮かべる。
「もしかして……気になる?下北沢が、最初に辿り着いたところだってこと」
そのものズバリを言い当てられる。私はその時の気持ちが顔に出ることがあるから、隠しているつもりでも、拓人さんにはわかってしまうんだろう。
だけど、知りたい、拓人さんのこと。知りたかったから、私は頷いた。
一瞬、視線をテーブルに落としてから、再び、視線を私に向ける。
「正直に言えば、前にも話したように、私も私自身のことをはっきり覚えていることとそうでないところが混在しているけれど……でも、長く、異空間などを旅をしてきて、フェイドラに出会ってから、ようやく現世に戻ることができたの」
「フェイドラさん」
「そ。フェイドラは、もともとが「御伽話の中の聖獣」でしょ。彼もまた、どういうわけか、私が流れ着いた、ある空間の中で、ずっと過ごしていたのよ」
そこへ運ばれてきた、コーヒーなどを受け取り、ちょっとだけ間が開く。
窓の外に見えるのは、お手入れされた花壇。小さく、風に揺れている。
「フェイドラと出会って、彼が私と行動を共にすることになり、その後、私が願っていた「現世への帰還」がかなえられた。で、最初に辿り着いたのが、シモキタだったわけ」
と言って、拓人さんはコーヒーをひとくち、飲んだ。
「夢と現が交差する……たくさんの人の「夢」、そして「現実」が入り乱れる街よね。私がここに辿り着いた時、まだ、シモキタは……どこか、アングラ的な匂いが強く残っていたけれどね」
「アングラ的……?」
「あー、いわゆる、クセが強いというか、なんか背徳的というか、表立って表現できないっていうか、暗いというか……うまく表現できないわね。ま、今もその雰囲気はどことなく残ってはいるけれど」
一体、拓人さんはいつ頃の下北沢のことを話しているのだろう。でも、色々な時代を行き来していたのであれば、時代がごっちゃになるのは仕方ないのかもしれない。
「最初は戸惑うしかなかった。自分がどのような立場にいるのか、すぐには理解できなかったからね」
「でも、すぐに順応した?」
「う~ん……どうだろう」
「色々なところを旅してきたっていうのは、それは拓人さんの意思?」
「それは違うわね。私は、現世に戻りたくて戻りたくて仕方なかった。あなたを探していた……というのは、前に話したこと、あるわよね」
「うん」
「最初はもう、それはおかしくなるくらいに、現世に戻りたくて戻りたくて。だけど、自分のチカラだけではどうしようもないと理解したとき、絶望というか、どうしていいのか、まったくわからなくなってしまった」
カラ……と、グラスの中の氷が崩れる音がする。拓人さんの飲んでいたアイスコーヒーのグラス。水滴が、コースターに沁み込んでいく。
「絶望……コトバで言ってしまうと、とても薄っぺらい感じがする」
テーブルに肘をつき、顎を手にのせて、視線をグラスに落として、拓人さんは誰に言うとでもなく、呟いた。
「頼る人なんていない。ひとりで、自らの意思とはまったく関係なく、わけのわからない時代、年代、空間を流され続けた。あのおふたりに託された、葉月さんすら失ってしまった。外界へ逃げることはできない。どうしたらいいのか」
たったひとりで、彼は流され続けていたのだ。私がその気持ちを汲み取ろうなんてのは、まったく、烏滸がましいこと。黙って、拓人さんの顔を見つめる。
「私自身は何者なのか……なぜ、こんな状況になっているのか……なにもかも、わからないことばかり。本当に、自分には何も残っていない、ここにいる自分も、本当に自分なのかと思いながら彷徨っていたの。そんな、目の前が真っ暗になった時、出会ったのがフェイドラだった」
彼が、自分のことを話してくれることは本当にめずらしい。
私は、じっと、その話しに聞き入った。
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