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生と、死と、再生と。
思考の海に浸っていた自分は、周囲の空気が「振動」したことに気づく。
ニンゲンでいうところの「五感」を研ぎ澄まし、周囲の空気を読み取る。
どこかの空間から、自分のいるこの場所へ流されてきたのか……空間の「壁」を突き破ってきたのか。めずらしいこともあるものだ。
ゆっくりと身体を起こして、閉じていた目を開ける。
深い闇が拡がる頭上を見上げ、この空間に「入り込んだ」何者かを探らなければならないと思い、そのまま宙へと飛び立つ。
どこにいる……この気配は……ニンゲン、か?
大きな岩が無数に転がる、不毛の台地。
なにも育たない、無機質な光景がひたすら、拡がっている。
いつ、だれが、何のために造った空間なのか、自分にはわからない。
だが、自分には居心地は悪くはなかった。
自分が、この空間に来てから、ニンゲンがやってくることはなかった。
最後にニンゲンに会ったのは、前の主人が亡くなる直前……この空間へ移動した時のことだ。
あれから、どれくらいの時間が経っているのだろう。
……ああ、やはり、ニンゲンだ。
大きな岩の間に横たわる小さな影を見つける。
生体反応……かなり弱い。呼吸も弱く、体温も低い。
これは、ニンゲンにとっては「死」を意味するものだ。
だが、その直後、自分の中に流れてきたのは、横たわるニンゲンの意思だった。
「死にたく……ない……」
死にたくない。
死ぬ直前だということを理解しているからこその、願い。
目の前にいるのは、まだ、少年といってもいい年齢のニンゲンだ。
そして、死にたくない、ということは、生きたいという意味。
無意識の中でつぶやいた言葉は、強烈に自分の中に流れ込んできた。
……これは……
同時に、目の前にいる少年の「意識」が、自分の中へと流れてくる。
このニンゲンは、一度ならず、二度も死ぬようなめに遭ってきたらしい。
いや……それ以上に、なんなのだ?
混沌とした「なにか」が、少年の中に渦巻いているのがわかる。
なんという……なんということだろう。
どこの世界からやってきたか、もとはどんな立場なのか。
生まれ、育ち、素性。
これまでのすべての「記録」。
なぜか、自分の中にすべてが流れ込んできたのだ。
この世のすべてを見通す能力を持った……少年……
ニンゲンは、ひとつの生命のはずなのに……なんという……
.
『きっと、おまえのチカラを必要とする者が現れる。それがいつ、どこの時代から、どの空間からやってくるか……いつになるかはわからないが……必ず現れる……』
だが、ひとつだけ、気になることがあった。
それは、少年の中にある「絶望」にも似た感情だ。
絶望……諦め……そんな思いも伝わってくる。
だが。
かつての主人が言っていた言葉を思い出した。
この主人も、強力な魔法・魔術を操るニンゲンだった。
そうでなければ、自分を使役することはできない。
自分は、少年に話しかける。
【生きたいか?】
生きたい…?いや、でも……ぼくは……もう……
もう……なにものこっていない……ぼくには……
【おまえは、おまえ自身のことを理解していない……というよりも、記憶があいまいになっているのだろう】
きおく……ぼくの……きおく……ぼくは……ナニモノ……
【そのうちに思い出すことができるだろう。それよりも、今は目の前の危機をどうするか、考えよ】
……………………。
【この先を生きるためには、本来のおまえを取り戻す必要もある】
……………………。
……生きたい……やくそく……ある、から……
【約束?】
先刻の「記録」の中に、確かにあった。
少年が、他のニンゲンに託されたこと。
その「願い」が、あまりにも強すぎて、少し面食らったが、しかし、少年の「気持ち」が込められていたのは事実である。
根が優しいのだろう。
だが、本人すら、記憶があいまいになっている「本当の姿」を垣間見た自分は、ある意味「確信」したのだ。
この少年を、このままにしておいていいはずがない、と。
【残っていたではないか、おまえの願いが残っている】
……ねがい……そうだ……ね……
【約束を守りたい……生きたいと願うのであれば……本当の姿に戻る覚悟があるか?】
………ほんとうのすがた……?
【記憶があいまいになっている、おまえを保護してくれたというニンゲンたちは、そのことを理解していたはずだ】
そうだ。そのニンゲンたちは、少年の「正体」を知った上で、保護したのだ。放っておくわけにはいかない、このままにしておいていいはずがない。今の自分と同じ気持ちだったに違いない。
さきほど、垣間見えた「記憶」には、そういったものも含まれていた。
【自分自身と向き合う気持ちはあるか?】
…………やくそく…まもる……あの子を……さがしたい……生きたい……ぼくが、ぼくであることを……もういちど、たしかめたい……ぼくは……
もう、ひとりは……いやだ……
【そうか……わかった】
少年の希望を叶えよう。
死に際でも、必死に生きたいと願う気持ち、確かに受け取った。
瀕死の小さな身体を光で包み込む。
生命の灯が消える直前、自分のチカラを少年の魂へ分け与える。
これで、少年がもとから持っている「本来のチカラ」が戻るはずだ。
少年……いや、本来の「彼」は……
次の瞬間、光の塊が爆発する。
光の中に現れた「彼」は、全身が真っ白の肌に、ありとあらゆる文様が浮かび上がり、白銀の髪にワインレッドの眼を持つ、ひとりの「ニンゲン」。
彼は、自分自身の姿を不思議そうに見てから、両手を自身の目の前に翳す。
『これ……が、私……?』
外見はもちろん、その声色も、そして、言葉遣いも少し変わっている。
【その姿が一番、本来の姿に近いというのが正しいだろう】
『……本当の姿…』
その視線を、まっすぐに自分に向ける。そして、ようやく、気づいた。
『あなたは……』
【自分は……サラマンダー。かつての主人からは「フェイドラ」と呼ばれていた、異世界からの存在だ】
『サラマンダー……火蜥蜴……火龍とも……いわれる……四大精霊』
【そうだ。さすがに知っていたようだな】
『なぜ……なぜ、ここに……サラマンダーが……』
そう、なぜ、自分がここにいるのか。
それは、かつての主人が教えてくれたこと。
『いつか、おまえを必要とする者が現れる』
その「いつか」が、今、なのだ。
目の前にいるニンゲンが、自分を必要としてくれるはずのニンゲン。
【かつての主人が、この空間を用意してくれたのだ。いつか、自分のチカラがに必要となるニンゲンが現れるまで、ここにいるといい、と】
『必要なニンゲン……それが、私なのか?』
【その通りだ。自分は、おまえの役に立つ、必ずだ】
彼が、自分の、新たな主人。
『私……わたしは……』
彼は、ゆっくりと目を閉じて……深く、深く呼吸を繰り返す。
まるで、何かを思い出すかのように。
『私は……タクトと呼ばれていた……あの方々に。とても優しくて、あたたかくて、私がずっと願っていたものを与えてくれた……でも……』
【無理に思い出そうとはしないほうがいい】
『そう。あの方々が、私に名前をつけてくれた……とても、懐かしい、嬉しいこと……少しずつ思い出せればいい』
それまで何も身につけていなかった彼は、目を閉じて、すうぅっと意識を集中させる……と、今度は真っ白のロングジャケットを纏った青年の姿になっていた。
何かを思い出したのか、それとも本能なのか。
それらも、そのうちにわかってくること。焦ることはない。
彼はゆっくりと目を開けて、ワインレッドの瞳を自分に視線を向ける。
まだどこか、おぼつかない、少年のような表情と、どこか妖艶な雰囲気を纏う青年の表情が混在した、非常に不思議な笑顔。
いつのまにか、手にしていた銀縁の眼鏡をかけてから、彼は言った。
『フェイドラ、一緒に来てくれますか?』
返事はひとつに決まっている。
【Yes,My Load】
その瞬間、自分が留まっていた空間が一気に拡がった。
目の前にあるのは、無機質な光景ではなく、鮮やかな緑色の草原とどこまでも拡がる青い空。
風が強く吹いてきた。彼が着ている服、髪を靡かせる。
自分と相対するような、真っ白のロングジャケット、白銀の髪、ワインレッドの瞳を持つ青年が、自分の新しい主人だ。
サラマンダー・フェイドラとして、ふたたび、ニンゲンに仕える時が来た。
新たなマスター、タクトとともに、自分はふたたび、旅立つことを選んだ。
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