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「洲崎さん、スーツの手入れってどうしてる? 埃はブラシで払うようにしてるけど…」
次の日。大和は出社前、岳の迎えに来た真琴にそう尋ねて来た。
それまでは真琴が行っていた事だ。大和は頼みもしないのに、ちゃんと気づいて引き継いでいてくれたらしい。
真琴は思案げに視線を揺らしながら。
「そうだな。払い方はどうしてる?」
「えっと、ハンガーに吊るして上から払う感じ…」
「それでいい。払うときは余り強くならないようにな? 縫い目に沿って払った後、上から順に軽く払うんだ。ハンガーは何を使ってる?」
「プラスチックの奴…」
「出来れば木製がいいな。湿気を取ってくれるし静電気も防いでくれる。出来たシワは霧吹きをかけるだけでいい。あるならハンディスチーマーやスチームアイロンで蒸気を当ててやるのもいいな。一日着たスーツは最低でも二、三日休ませて──」
傍らで大和はウンウンと頷き目を輝かせて聞いている。いい青年だ。
まさか岳が自分に好意を寄せ始めているとは露ほども思っていないだろう。
真琴がひと通り説明を終える頃には、早くそれを試したくて、ウズウズしている様子だった。
大和は今まで岳が付き合って来た中で、ないタイプだった。
岳の相手はたいてい後腐れなく割り切って付き合える『大人』ばかり。
それもみな、人が振り返る様な美貌の持ち主で。中にはモデルやダンサー、アーティストもいた。
その時の気分で付き合う為、特定の相手は決めず、それぞれ適度な距離を保って付き合っていた。例えるなら気分で付け替えるアクセサリーの様なもの。
決して真剣になることはなく、もし相手にその素振りが見られれば直ぐに別れていた。
深く立ち入らない、入らせない。
今の立場がそうさせているのかも知れないが、その素質は前からあったように思う。
思えば大学の時からそうだったな。
学内でも評判の美しい容姿の青年に言い寄られ付き合った。
それを隠す事もなかったが、自分から進んで人前でいちゃつくこともなく。相手がそれを望めば拒否はしなかったが、付き合いはあっさりしたものだった。
相手を好いてはいたのだろうが、何処か他人任せの態度にも見え。そこに必死さはなく。
その相手と卒業と同時に別れても何ら不思議には思わなかった。
元より他人に強く興味を持たない性質の持ち主でもあり。卒なく付き合いながらも、友人と呼べるのは真琴くらいなものだった。
育った環境がそうさせたのか、岳は執着とは無縁で。
その岳が、初めて他人に興味を持った。
年齢を聞けば十歳も離れている、年若い青年。電話口で岳は毛色の変わったのを雇ったんだと楽しげに話した。
珍しい。
岳の興味を引いたからにはかなりの美貌の持ち主なのだろうと思ったが。
リビングのドアを開け、振り返った大和を見た瞬間。
ああ、これは本気だなと思った。
それは岳が、見た目でもなく身体の相性でもなく、彼自身に興味を持ったと分かったからだ。
何処にでもいそうな平凡な見た目の青年。
でも、愛嬌のあるクリクリとよく動く目が印象的で。表情も豊かだ。よく笑い、怒り、時には涙を浮かべる事も。情が厚いのだろう。
果敢に亜貴に挑み、岳へは小言を惜しまず。真琴へは何処か敬意を持って接しているようだった。
小柄ながらも活発で動きも俊敏。身体も細い割には筋肉もつき、鍛えているようだった。庇護欲を掻き立てる様な弱さと無縁で。
いいな。
そう思った。
岳でなくとも、友人として側に置きたい、いて欲しいと思えるような存在。
人見知りの強いあの亜貴さえも、心を開きかけている。邪気がないのだろう。
何かを得たいとか、して欲しいからとか、見返りを求め相手に合わせるのではなく、ただ、相手を思って行動している。
それが大和だった。
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