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視聴率が落ちてきた番組の企画会議より陰惨な空気で充満し殺伐とした雰囲気が漂っているものを私は知らない。プロデューサーは下っ端のスタッフを怒鳴り、ディレクターと放送作家は罵り合っている。制作部長は会議室に入ろうとしない。自分には関係の無い番組だとアピールしているつもりなのだろう。番組からの撤退を検討し始めたスポンサーたちを翻意させようと、広告代理店の担当者はご機嫌取りに回っているらしいが、広告代理店そのものも当番組から手を引きたがっているとかいないとか。
「▽●さん、どうしました?」
ディレクターが私に気付いて声を掛けた。全員の視線が私に集まる。気付かれなかったらドアを閉めて帰ろうとしていたのに、残念。
むさ苦しい男どもに、私は笑顔で話し始めた。
「局が主催するナイトプールのイベントを、こちらの番組内の特集で告知していただく件なのですが、共催関係各位の調整が付きましたのでご報告に上がりました」
あらかじめメールで知らせておいたので、プロデューサーとディレクターたちは私の用向きを分かっていた。外部の人間である放送作家とメールを読む暇の無いアシスタントディレクターたちは話題に付いていけない様子だ。
私たちの局が開催する夏祭りイベントの目玉企画に、各地のナイトプールを梯子して集めたスタンプを応募すると、日本初の有人ロケットによる宇宙飛行の往復チケットが抽選で貰えるという豪華プレゼントがある。企画のターゲットにしているのは若い女性だ。それなのに送られてくるのは男性がほとんどで盛り上がりに欠けている。テコ入れ策として告知を増やすことになり、深夜の情報バラエティである当該番組でもドンドン流して欲しいし、大きな枠で特集をして貰えるなら共催関係各位が番組のスポンサーになることを検討している――みたいな話をしたら、放送作家やアシスタントディレクターたちが色めき立った。金のためなら何でもやりそうな食いつきだ。
そんな彼らが嬉しがる情報を追加する。
「皆さんが取材に行くナイトプールは、◇□山中に建設されたばかりの、最新式のロケット発射基地にあります」
歓声が上がった。そのロケット発射基地については彼らも知っていたようだ。とある大金持ちがポケットマネーで建設した巨大な施設で、ロケット発射台があるだけにとどまらず、周辺には遊園地や温泉などの行楽施設が完備され、産業と娯楽を兼ね備えたテーマパークとして日本中のみならず世界各国から注目されている。その施設の建設に当たっては、宇宙飛行を旅行としてビジネスにしようとする計画が立てられており、このプレゼント企画は宇宙旅行普及のための広告の意味合いがあった。
「番組スタッフの慰労を兼ねて、ロケの際には宿泊施設や娯楽設備を自由に使ってよいと発射基地のオーナーからお話がありました」
スタッフは皆、欣喜雀躍した。もっと喜ばせてやろうと、私は取って置きの情報を付け加えた。
「ロケには私も同伴します。営業部を代表して、水着でナイトプールに入るつもりです」
全員が絶句した。なんでやねん。
確かに私はアラフォーで、全盛期は過ぎているのかもしれない。だが営業部に配置換えになる前は局の女子アナとして人気者だった。男遊びや後輩いじめといった根も葉もある噂のせいで人気が落ちてきて、裏方に回る羽目になってけど、表舞台に復活するチャンスが今、めぐってきたのだ。花形ポジションである女子アナに復帰する好機を逃す手はない! と意気込む私に、プロデューサーが恐々と聞いてきた。
「あの、それはどういう経緯で、どういうことで、そうなったのでしょうか?」
私は即答した。
「基地のオーナーさんが、私の大ファンなんですって。私に、どうしても来て欲しいって。会長と社長と局長と営業部長に連絡が来て。そこまで言われたら私も、一肌脱ぐしかないじゃない」
「何かの間違いでは」
「だまらっしゃい」
ああ、そういう奴はいるだろう。営業へ配置換えになるときフリーアナの道を模索したが、私はもう若くないと大手事務所から移籍を軒並み断られ、自立を断念したのは……もう遠い昔のことだ。イケメンと評判のオーナーが四十代の独身男性で、学生時代から私のファンだとしても、それで何がどうなるわけではないだろう。アラフォーではなく、アラフィフというのが正確な独身女の水着を見て、幻滅する。ただ、それだけだ。玉の輿? そんな甘い夢を見ても、自分が傷つくだけだと分かっているのよ! それでも私は加齢に負けない。肌には張りがある。形が良くて大きな胸は垂れていない。尻肉が落ちてきたのは事実だけれど、パレオで隠せば兵器、じゃない平気よ。
いざ、出陣! と陣太鼓を叩き法螺貝を吹いて鎧兜ならぬ紺色の競泳水着でナイトプールのロケに向かった私は、ロケを見物しに来たイケオジというには若々しすぎる四十代の超大金持ちオーナーと親しくなり、ロケが終わるとプールを覆うサンルーフの天井から見える満天の星を眺めつつ、オーナーに背泳ぎの手本を見せていた。
私の泳ぎっぷりを見て、オーナーは心底から驚いた様子だった。
「プールで泳いでから出社すると書かれた雑誌の取材記事を読んだことがあるけど、毎朝泳ぐのですか?」
平日はいつも、と答える。最近はサボっているけど。
「グラビア見ましたよ。仰向けでバタ足をしながら、容器に入ったジュースをストローで飲んでいましたよね」
思い出した。若い頃、雑誌の女子大生グラビア特集で、そんな写真を撮影した。カメラマンに言われ、ラッコみたいな恰好で撮られた写真を、当時の彼氏が爆笑したのに激怒して別れたのだった。誰にでも、若き日の過ちはある。
やがてオーナーは私の真似をして背泳ぎを始めたが、すぐに水没した。げぼげぼ水を吐き出して立ち上がる。
「恥ずかしながら泳げなくって。平泳ぎとクロールはどうにか泳げるようになったんだけど、背泳は必ず沈むんだ」
私も水に浮かぶのを止め、立ち上がった。オーナーの隣に立つ。長身の私より頭二つ分くらい背が高い。三つか四つ程の身長差が憧れだったけど理想を追いかけてもきりがない、ここは妥協だ。
「スイミングスクールみたいにはいかないかもしれませんけど、よろしかったら教えて差し上げますわ」
私のアプローチに、オーナーは大喜びだった。はにかんで聞いてくる。
「良かったら、水泳以外のことも教えてもらえないかな?」
「……たとえば」
「付き合っている人がいるのか、とか、好きなタイプとか、そういうこと」
簡単には教えられない、みたいな恋愛のテクニックを、男を焦らす技ってか作戦っちゅーの、あれをやろうか悩んだけど、私には時間がない。人生の残り時間を考えて、やることやらにゃああかんのよ。
「フリーです」
「今夜は、時間ある?」
来たよ、キタキタ。言え、あると言え、私。時間があると、二人で過ごす時間があると! しかし、何かちょっと、彼が可哀想になってきた。ハッキリ言って、私はこの男に惚れているわけではない。格好いいのは認めるし、超絶大金持ちなのも事実で、結婚相手に申し分ないけれど、恋愛の対象とは違う。私の理想は、自分で言うのも変だけど、妙なのだ。スーパーマンじゃなくてスッパマンとか、バカボンのパパとか、あんなのが好き。人間離れしている一面があると、そこに惚れる。この人が背泳ぎできないというのは少し面白いけど、それだけじゃ物足りない。なんか、いい人すぎる気もする。けつあな宣言したプロ野球選手みたいな下衆野郎が好きってわけじゃないけど。あ、それで思い出した。この人が子供を望んでいるとしたら、私はその願いをかなえてやれないかもしれない。亡くなった両親は孫の顔が見たいとずっと言っていたのに、私は親の願いをかなえてやれなかった。そんな私なんかで、本当にいいのかって感じもするし……。いやいや、そんなこと考えるな。恋愛は遊び、あるいはエクササイズだけど結婚は真剣勝負で、公式戦だ。勝つのだ、婚活に勝つのだ! 妻に選ばれるような女を演じるのだ!
「あの、すみません。知り合ってすぐに、そういうのって、私イヤです」
半分は本音のセリフを彼はお気に召したらしい。
「いや、そういう意味じゃない、というか、本当に時間があるのなら、付き合ってほしいことがあって」
「……それは、ど、どういったお付き合いで」
「勿論、結婚前提なんだけど、条件があって」
面倒臭い条件ならお断りだよ、と思うが顔には出さず聞いてみる。
「どんな条件なの?」
オーナー男性は言い淀んだ。男らしくない、減点一、いや、マイナス二点だ。
「言うけど、引かないでね。僕は宇宙人なんだ。僕の生まれ故郷は温暖化による海面上昇で海洋惑星になっていて、フォーマルな席では海水に浮かんだまま食事をするのが正しい作法とされているんだけど、どんなに練習してもできなくて。マナー講師にいくら注意されてもできなくって。子供の頃からそれがコンプレックスで、海洋惑星じゃなく陸地がある星なら変なマナーは無いだろうと思って宇宙を旅して地球に来て、そして君を見つけたんだけど、僕の故郷の星を君に見せたいなって思ったら、君と結婚して連れて行きたくなって」
こいつ頭おかしいとは思ったが、これぐらいおかしくないと一代で年商十数兆円もの産業を創建することは無理だろう。私は素直に頷いた。顎から水と冷や汗が滴り落ちる。
「でも結婚式はマナーがうるさい。仰向けで浮かんだまま飲食できるように練習したいけど、自分だけじゃ無理だ。人から教わってもできそうにないけど、君に教わるのなら、できそうな予感がするんだ。それでも、これは自分勝手な考え方だ。君に地球を捨ててくれって言うのは気が引ける。そんな条件、難しいよね」
この男の頭が変だとしても、だ。それでも確認しておかにゃならんことがある。
「聞いていい」
「何なりと」
「私を好きになったのは、仰向けでジュースを飲んでいたからなの? ラッコみたいに」
半分はそうだと彼は言った。正直でよろしい。
「ごめん、悪いけど、そんな話は信じられない。さようなら」
私はプールから上がろうとしたが、彼が手をつかんで離してくれない。
「信じられないのなら、その目で見てくれ。僕の生まれた星まで超光速航行なら一時間弱だ。星空のドライブだよ」
彼は天井を見上げた。その目から極彩色の光線が発射される。光線を浴びて、天井のサンルーフが静々と落ちてきた……違った。私と彼の体が浮かんでいるのだ。体の周りの水と一緒に。
「僕の目から出た光は反重力ビームで、宙に浮かぶときに使う。宇宙飛行時の推進剤は水分子の振動を――」
彼は何か言っているけど何を言っているのか意味不明だったのでどうでもいい。やがて二人の体は中空で止まった。サンルーフが音もなく開く。私たちを漬けたまま水が形を変える。球体となった。その中に私と彼が向き合っている。
「椅子を出せるけど、座る? 無重力で飛行するから立ったままでも、そんなに疲れないと思うけどよ」
ビビっていることを悟られたくないので、私は強気で言った。
「思うけどよって何? あなた、いつもそんな言い方する人なの? 自分の女にはぶっきらぼうな口をきく内弁慶タイプのオラオラ系なの?」
彼は私に謝って、それから言い訳した。
「作者が打ち間違ったんだと思うけど、気を悪くしたら本当にごめんね」
私は彼を許した。それから私たちは婚前旅行、じゃないわあ往復二時間程度の、宇宙旅行というには物足りないお出かけに出かけた――って、変な日本語だけど心が浮ついているせいだから大目に見てよ。
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