1人が本棚に入れています
本棚に追加
四大を出て、新卒で就職して はやくも三十年が過ぎた。真面目が取り柄で、休むことなく働き続けた結果 役職こそつかなかったがそれなりの給料で 家族三人を養って来られた。
娘は希望の短大を卒業し、「ありきたりでつまらない」と言いながらも、勤勉に事務職として働き結婚も決まった。
息子は、姉に対し負けず嫌いなところがあり 昔から喧嘩の種だったが 今では大学四年。就職を控え、この冬は遊び倒すと言っていた。
そんな子供たちを育ててくれた妻には、なにもしてやれなかった。
でも、今日やっと通知が来た。これで妻にも少しだけ何か、旅行とか美味しいものとか 出きるようになる。
「ただいま」
お帰りなさい。と言いながら妻がパタパタと玄関へやってくる。
「今日これをもらってきたよ。」
「早期リタイア志願者 通知書」
妻はこの通知を見て、えっと息を飲んだ。
「これ。え?まだ定年まで十年近くあるけど、リタイアする、、、つもりなの?」
「ああ、せっかくの機会だしな。早期リタイアすれば手当ても出る。しかも、住宅保証で家のローンもなくなってずっと住むところが保証されるそうだ」
「ローンって後もう数年ですし見通しはたってますよ。そんな、リタイアしなくたって」
「いいんだ。私がリタイアしたら、お前の好きに出来る」
納得しきらない妻に、子供たちをリビングに集めるように伝え、着替えをしに寝室へと向かう。姿見で自分の全身を眺め「更けたなぁ」と呟き、首もとの伸びきったよれよれの部屋着でリビングへと向かった。
「ちょっと、リタイアするって!」
ドアを開けるなり息子が叫んだ。娘と妻はうつむき、涙を浮かべている。
「ああ、もう決めたんだ。何、お前たちは今と変わらず生活出来る、大丈夫だよ」
家族との話し合いは深夜まで続いたが、私は自分の意見を譲らなかった。
そして、翌朝…
「じゃあ、行ってくる。みんな、しっかりな!」
そう言い、いつものように家を出た。いつもとふたつ、違うとすれば 妻だけでなく娘と息子も玄関で見送ってくれたことと
皆、涙を浮かべていたことくらいか。
清々しい気持ちで、いつもの通勤電車に乗り会社に着くなり、いの一番に人事部へ例の書類を出した。
「あ、わかりました。受理したらまたお呼びします」
淡々と言われ、いつものようにデスクで午前の業務を終えたところで呼び出しがあった。
私以外にも2人、会議室に呼び出されていた。
「えーでは、早期リタイアについてですね、書類を受け取りました。お間違いないでしょうか?」
三人で顔を見合わせ。うなずきあった。なんとも言えない連帯感があった。
「では、国が定めたところによる 早期生涯リタイア通知書を提出された皆様にはこの後、思い残すことのないよう半日自由時間が儲けられます。それが済みましたら、こちらの記載されております 執行所までお越しください。」
私を含め、全員がごくりと唾を飲んだ。
「あの、何時までに行けば」
私の言葉を遮るように、人事担当が「はっきり定まっておりませんが、日付が変わるまでには。万が一お越しいただけませんと、責務放棄とみなされご家族様が収容されます。」
その重みに全身に汗が吹き出たが、我々の意思はそんなものではない。
解散となり、散り散りに好きなところへ向かった。
私は特に行きたいところもない。家族との別れも済ませた。時間まで喫茶店でコーヒーを飲み遅くなった昼食にとサンドイッチを食べた。
そして、執行所へと着いた。
身分確認をし、書類にサインをし、妻と子供へ宛てた手紙を所員に託し
用意された部屋の、椅子に座り背もたれに深くもたれ、深呼吸をしながら目を閉じた。
扉が閉ざされ、ビービーという機械音が遠くで聞こえたが、そのまま意識は戻ることはなかった。
最初のコメントを投稿しよう!