織部色の人生

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* * * 「失礼します」 「ん、織部か。早かったな」  保健室に入ると、何処か適当さの滲む落ち着いた声が返ってきた。 「ちょっと待ってくれ。持って行って欲しい書類があったんだ」  落ち着いた茶色の髪。  白衣を着て書類をパラパラと動かすその後ろ姿は、如何にも仕事のできる大人……で、あるかのように見える。 「悪いが何ヶ所か回ってもらうぞ」 「……わかりました」  溜息をつきたい気持ちを抑えつつ返事をすると、書類を各届け先ごとに纏めていた教師が振り返った。 「何だ、不満そうな顔だな」 「いえ、別に……」  彼は東屋(あずまや) (こう)。  ()()この学園の養護教諭である。  顔立ちは整っているが、力の抜かれたやる気無さげな表情がそれらを幾分台無しにしている残念な大人だ。  申し訳程度に羽織った白衣も、いっそ着ない方がマシなのではないかと思わせる程だらしがなくみえる。……彼が着るから余計にそう見えるのかもしれない。  ただ驚くべき事に、彼はこの学園の生徒の大部分から『色気がある』や『かっこいい』などという謎の高評価をされている。  残念ながら、俺にはダメな大人にしか見えないが。  しかしこれは、俺が彼の口の悪さやサボり癖、行き過ぎた面倒臭がり気質を知ってしまっているからだろう。 「言うだけタダだろ。言ってみたらどうだ」  書類を分ける手を止め、身体ごと振り返った東屋先生は片眉を上げて俺に不満の先を促してきた。  ……言うだけならタダ、ね。 「いい加減、俺以外にも頼んだらいいのに……と思いまして」 「そうか、無理だな。ヒラ委員じゃ授業免除はほぼ無しだ。……ま、そもそも普通のやつらが際限なくンな事してたら間違いなく成績が落ちるしな」  諦めるんだな、と口の端を持ち上げる東屋先生。  知ってる。やっぱり言っても無駄だった。  本当に“無料(ただ)”なだけだった。  彼の言う“ヒラ委員”とは、多数存在する特筆する権限を持たない通常委員の事だ。  対して、委員会の長や副、生徒会役員などといった、比較的重要な役を担っている生徒は“役職持ち”と呼ばれ、特殊な権限を持っていたり、場合によるが仕事があれば基本的に授業が免除される。  成績さえ問題なければ、実質無制限だと風の噂で聞いた。実際はどうか知らないが。  逆に、先生の言った通り通常の委員に授業免除は無い。  基本的に委員が止むを得ず授業を欠席した場合は、必要に応じて担当教師が委員会の顧問に確認し、証言が取れれば免除が成立する。  それも『緊急時、やむを得ない場合のみ』と、厳しく認知されているため、実質無いものとして認知されている。理由は通常の委員になるにあたり、学力面の選抜が無いからだ。  まぁ、『委員会より勉強優先だよ』という、ある意味生徒に優しい仕組みがある訳だ。 「だから言わなかったんですよ」  とはいえ、それにしても忙しい。  毎日毎日、どれだけ俺がこの駄々広い学園内を歩かされていると思っているのだろう。 「……少しずつ順番に割り振っては?」  そう、例えば……朝や昼休憩、放課後等、時間に余裕のありそうな時に順番で委員の生徒に割り振れば──── 「なんだそりゃ、面倒臭い」  あー……出た、面倒臭い。 「……つか、他の奴らじゃ俺から仕事頼むだけでも目ぇ付けられかねないだろ」 「それはまた……随分と」  自意識過剰、という訳では無いが……如何せんナルシズムを感じるコメントである。 「俺は自分の顔とやらを自覚してんだよ」 「……別に何も言ってませんけど」  考えていた事がバレたらしい。  まあ、隠そうともしていなかったが。 「ヒラ委員に生徒会役員への使いなんか頼んでみろ。一般生徒からの大バッシングだ」 「そうですね」  この学園の顔面・家柄至上主義は、過剰を通り越して異常だ。  正直、ここには頭のおかしな人間が多い。  半端な生徒が顔の良い生徒に近寄ろうものなら、『抜けがけだ!』とか『相応しくない!』とか訳の分からない理由で、生徒間の空気がギスギスし始めるのなんて珍しくもない。 「いくら保健委員でもヒラは論外」  保健委員会は、二大組織である生徒会と風紀委員会に続いて重要な委員会だ。  しかし先生の言葉の通り、やはり役職持ちと一般委員とでは周囲からの扱いに雲泥の差があるのも事実だ。  特に保健委員は生徒会の企画や、風紀のトラブル対処の協力等、なんだかんだと二つの組織と密接に関わる事が多い。  それゆえに生徒会室へはもちろん、風紀委員室へも同様の理由で出入りが増える。  つまり、それだけ人気どころとの接点があるという事だ。  そんな委員達を牽制せんと、が目を光らせていない訳がない。 「お前、けっこう酷だよな」  それは分かってるんだけどね。  あまりに先生が俺を使いっ走るものだから、本人に促されちゃつい口も滑るというものだろう。  役職持ちとなる委員長と副委員長は、家柄・容姿・能力の三つを重視して選ばれ、委員長を務めた生徒もしくは学園側から直々に推薦される。  特に保健委員長らは重要であるが為に、生徒会役員や風紀委員長らと同等に近い厳しさで選ばれる、らしいのだが────……  悲しいかな、そんな副委員長の席に座っている俺だが、今の所ほとんどこの顧問にパシられているだけである。  ついでに言っておくと、本来ならパシられるのは副委員長()だけでなく委員長も一緒の筈なのだが、生憎今年の委員長様は『極度の人見知り』と言う、非常に面倒かつ仕方の無いものを抱えている。  ゆえに、残念ながらパシリ役は俺一人で補っている現状だ。  現保健委員長は仕事の出来る人だ。  しかし先程も言った通り、如何せん極度の人見知りである。対人系はこちらで対応するしかないのだ。  ただ、その分面倒な書類仕事なんかは、ほとんど委員長が処理してくれている。実を言うと特段文句もないし、むしろ助かってはいるのだが。  ……まぁ、ウィンウィンと言うやつだろう。 「つか下手したら俺まで巻き込まれかねないだろ。面倒臭い」  ……結局そこか。  いつの間にやったのか、事の他綺麗に纏められた書類を俺に渡しながら、面倒臭さに顔を顰める東屋先生。  考えただけでも嫌なのか、この教師。  だが、いい事を教えてやろう。今から面倒な配達業務をせざるを得ないのはこの俺だ。あんたじゃない、良かったな。 「頼んだぞ。お前は案外マメだからな」 「…………」 「ん? どした」 「…………はい」 …………まぁ、この人に褒められるのは、悪くない。  だから今日も軽くパシられよう、と俺は渡された書類を腕に抱えしっかりと持ち直す。  頑張るのは好きじゃないけど、これくらいなら構わないだろう。  こんなふうに、普通にやってちょっと褒められるくらいが一番良い。何事も適度な頑張りが丁度良いのだ。  過剰に努力する必要も無ければ、それで得られるものなんてたかが知れている。それどころか、失う事もあるのだ。  ……全く、がむしゃらに頑張ったとしても、良い事など何一つないのだから。
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