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00.プロローグ
●
美しい木々に囲まれ、ひっそりとそこにある小さな集落。古い民家が並んで建ち、住民達が頻繁に通る道には石畳が敷き詰められていた。集落の中央には小さな噴水が建てられている。
その噴水の近くに建っている民家の一つに小さな命が産まれた。玄関から入って広めに造られたリビングルーム。寝室へは扉がないので、そのまま入る。
ベッドの上で長い銀色の髪の女性がおくるみに包まれた小さな命を腕に抱き、見知った来客に顔を向けた。
金色の大きな瞳に涙が浮かび、だが女性は来客に向かって微笑む。
『母さん、来てくれて……ありがとう』
来客は小さく頷き、柔らかな表情でベッドのすぐ横に置かれた椅子に腰を下ろす。母親となった女性が腕に抱く、小さな命を見せてきた。
『……小さいな』
小さく、産まれたばかりの儚い命。清らかで純粋で、優しい気配。見ていると、心の奥から不思議な感情が浮かぶ。
おくるみに包まれた赤子の両目は閉じられている。眠っているらしく、小さな寝息が聞こえてきた。
『お前もこうだったのだな』
母親になった愛しい娘に言ってやれば、女性は両目を細める。
『こんなに小さな時の私も母さんと父さんに見て欲しかったな』
『……ああ、きっと可愛かっただろうな』
来客の言葉に女性の瞳から涙が零れた。頬を伝って、赤子の小さな手に落ちる。
涙を流した女性に来客は驚き、名前を呼ぶ。
『マーニ?』
名前は親から贈られる祝福の一つ。この世界では古くからそう伝わっている。彼女の名前は育ての両親から贈られた祝福の一つ。
産まれたばかりの赤子の小さな手を見つめて、マーニは横にいる来客に言った。
『この子のもう一つの名前を母さんと父さんに、贈ってもらいたいの』
『……マーニ?』
『お願い、ね?ヒナ母さん』
小さな子供がねだるように、可愛らしくマーニは育ての母親にお願いをした。椅子に腰をかけた来客もとい、マーニの母親は眉を寄せた。
難しい表情を浮かべる母親の心情をマーニは何となく察している。
母親は自分にそんな資格がない、と思っているに違いない。感情の表現が昔から得意な人ではないが、マーニは長らく母親と生活して解っているつもりだ。
……ヒナ母さん。
『きっと、この子にはヒナ母さんと父さんからの祝福が必要だわ』
マーニはそう言って、赤子に頬を寄せた。ふんわりとした気配、甘い匂い。小さな手の指先がマーニの頬に触れる。
愛しい子に、祝福を。
それはかつての母親が、小さな子供を想ってマーニに名前を贈ったように……。
『だが、マーニ……私は……』
母は先程から赤子に触れて来ない。その手が汚れていると思っている母は新しい命に自分は触れるべきではないと思っているのだろう。
『ヒナ母さんは沢山戦って多くの人を守ったわ。父さんも』
『……』
『贈ってあげて、この子に……、ナイにもう一つの名前を』
ナイ、と呼ばれた赤子は大きく息を吐く。
かつて小さかった娘が成長し、その身に宿して産んだ小さな命。
──ナイ。
おくるみに包まれた儚く、けれども優しい気配を漂わせるその子にもう一つの祝福を。
……産まれて来てくれてありがとう。
────夢が記憶を映し出す。それは母の記憶だったのかも知れない。
記憶はそこまでしか見えず、視界が白く染まった。
強く風が吹いて、自分を通り過ぎていく。白い花弁達が空に向かって、風に乗って舞い踊り見えたのは一人の女性。銀色の長い髪が靡き、金色の瞳が真っ直ぐこちらを見ている。
控えめながら、強い意志を見せる双眸。
『……』
白いワンピースを着ており、銀色の長い髪を二つに分けて束ねた女性は白い花の群れの中で立っている。彼女の綺麗な金色の両目の光りはよく知っているものだ。
『……ルナさん、どうか未来を』
女性の柔らかな唇が動く。自分の名前と、未来という単語。柔らかそうな白い花の群の中に凛と立つ女性は哀しそうな表情を浮かべている。
…………未来、現在、過去。
頭の中で映像が通り過ぎていく。誰かが涙を流している記憶の断片。血を流して、剣を手にしている誰か。誰かの腕の中にいる人。銀色の長い髪の男性の後ろ姿。
様々な記憶が奔流のように通り過ぎた後に、もう一度女性を見る。
────未来。
自分と同じ、金色の瞳。銀色の髪。
何時かは自分も過去となるだろう。だが、未来に繋げるために。
────私の命はそのために。
────未来の芽に光を当てるために。
どうか、未来へと願う。その心の奥で懐かしい声が聞こえた。
『…………愛しています。今も、そして、これからも…………』
オルビスウェルトという星に産まれた多くの命。彼らが送った時間。その流れの中で、かつての誰かが残した声と言葉。
それは、きっと大切な想い。誰かからの、かつての自分に向けた。
想いが溢れて、それは涙に変わった。
●
鳥の囀りが耳に届く。ゆっくり瞼を上げれば、見慣れた自室の天井。目覚ましよりも早く、目を覚ましてしまったようだ。腕を動かして、手を額にあてる。
「……夢……」
色々なものを視たような気がする。霞がかかってよく憶えていないが、大切な記憶のような気がする。
……胸元が熱い。
服の上から空いた手で握る。
「……熱が、」
自分がそう望んでいるから、これは叶えようとしているのかも知れない。望んでいるのに、でも、叶えてはならないと……。
「…………」
何だか不思議な気持ちだ。よく覚えていない夢なのに、悲しみと懐かしさ、切なさを味わったような感覚だ。
夢の心地に引っ張られ、頭が働かない。
「……起きなきゃ」
上体を起こして、目をこする。重い身体を動かしてベッドから降りる。ベッドの横に設置された壁面タイプのクローゼットを開けようと前に立つ。
扉に付けられた大きな鏡に自分を映す。
母親譲りと言われた珍しい銀色の髪と、この世界では少し珍しい金色の双眸。
鏡に向かって瞬きを繰り返す。
「…………、」
この髪と目は今は隠さなければいけない。社会では歓迎されていない色なのだ。
目を閉じて、少し集中する。自分の魔力を使って髪と目の色を変える。銀色の髪は黄褐色に、金色の目は青色に。
目を開けて、鏡に映った自分を確認する。黄褐色の髪と青い目、どこにでもいる少年だ。
「……よし」
ベッドの横に置かれたサイドテーブルに乗せられた丸い形をした小さな容器を手にする。蓋を開けると、中にはオイルクリームが入っており、指で掬って髪の毛に塗り込む。
なるべく、目立たないように。
そう昔から言われて来た。
「ん、どうかな? うん、良いかも!」
鏡に映った偽りの姿。本当の色を隠した少年はクローゼットの扉を開けて、寝間着から制服に着替える。
制服は黒を基調とし、所々に青いラインが入っている。耐熱性、防寒性に優れており、魔力を使用する者ように調整された制服だ。
魔力さえあれば形状を変えることも、防御方面を変えることも容易い。
魔力量をそれなりに備えている者には便利な仕様に作られている。
「よいしょ……!」
制服を着て、裾を直し上着をしっかりと着る。
細かなサイズの調整も魔力で出来るので、常に自分に合い動きやすい制服だ。
黒という色もあって、見た目は少し重そうな印象の制服だがとても軽い。
足取りも軽く、寝室から出てリビングへと入る。
学園の寮ではあるが、造りはアパートメントで一通りの設備と部屋がある。寝室とリビングも別々の部屋扱いでドアもある。
内装はシンプルで自分の好みに出来るので嬉しい。
リビングから出ると小さい玄関が有り、そのドアを開けると廊下だ。この階層には他の生徒が住む部屋が幾つかある。
廊下に出て、正面の大きな窓を見る。四角い枠のシンプルな窓から見えるのは青い空と白い雲。
世界は何時の時代も空の色は変わらないのだろうか……。
「…………、」
小さく息を吐いて、下の階層へ行こうと廊下を歩く。
●
そう大して広くない部屋で二人の男性が机を挟んでソファーに座っている。
一人は緑色の髪と金色の目、頭には狼耳、腰からは大きくてふさふさの尻尾が生えている。
大きめの机にコップを置き、四角の画面を自分の前に表示させて男性はその画面を見つめる。画面に表示されているのは人物の正面を向いた画像。
男性は頭に生えた狼耳を動かし、金色の瞳を瞬かせる。
「……ほ──、これが新入生か……」
画面に指を置き、上へとスライドさせると画像以外の情報も出てくる。
「……東大陸の、スメラギ国の……、え、えっ! 何で国主の息子がうちの学園にっ……?!」
男性は目を大きく開き、机を挟んで自分の正面に座っている男性を見た。
長い銀色の髪、美しい金色の両目の長身の男性は手にカップの取手を握り、カップの中のミルクティーを見る。
狼耳の男性の戸惑いの問いに銀色の髪の男性は数分はたっぷり無言だった。
「…………」
金色の目を細め、男性は何かを考えている様子を見せた。その様子を見ていた狼耳の男性は眉間に皺を寄せて、眉を吊り上げる。
────何だ?
彼の態度に疑問が出て来る。だが、この男がまともに答えてくれるか。
狼耳を動かし、腰から生えたふさふさの尻尾をゆらゆらと動かし、不信感を表す。銀色の髪の男性はそれに気づいているが何も答えず。
「彼をこの学園に入れようと学園長とも話している」
銀色の髪の男性が言う。
学園に入れる、という言葉を聞き狼耳の男性は腕を組む。
「……お前と学園長が決めた事なら俺は何も言わない」
言って、男性は大きなため息を吐いた。目の前の男の思惑が知りたいところだが、正直に答えるとは思っていない。
……信じてはいるのだが。
己の中の思いと葛藤していても、結局のところ信頼が勝る。遠い時を共に乗り越えて来たのだ。
「コウ」
銀色の髪の男性が狼耳の男性の名前を呼ぶ。
名前を呼ばれ、コウの耳が動く。
「……何だ?」
「────彼とナイ、レオとイーグル、アレクスが組めるように調整してくれないか」
「……おい、ロザリオ。何を考えているんだ」
「……忘れてはいないだろう? お前も」
言われてコウの狼耳が下がる。自分達が進もうとしている道、目的、望み。
何時終わるのかも分からない戦いに身を投じるということ。目の前の男、ロザリオとも体験してきた。
「ナイの望みの先がどうであれ、俺達が道半ばで尽きることになっても、……進めるように」
ロザリオの静かな言葉が狼耳によく聞こえる。
時が経ち、時代は進んだ。過去から、今、未来へと────。
未知の時に自分達が立っているかどうかと聞かれれば誰も答えられないだろう。
「……ロザリオ。お前も俺もそういう役回りが来ても、その時は後悔しないように生きるのみだと思っていた」
「まるで今は違うと言ってるようだぞ」
「……俺は皆と未来に進みたい」
コウは言いながら、自分の前に表示された画面を見つめる。画面に映っているのは優しそうな眼差し、穏やかそうな表情をしている人物。黄昏のような長い髪を横で一つに束ね、髪の色と同じ黄昏時を思わせるような両目。
どういう未来がその先にあるかは分からない。
……だが、それでもとは思う。
●
この星の名前はオルビスウェルトという。世界には三界と呼ばれる主な世界があった。空の上の独自の文明がある天上界、海の上に出来た大陸に築かれた文明の地上界、不可侵で詳細が不明な魔界。その三界と、あらゆる魂の終着点である冥界。
それがオルビスウェルトという星である。
そして、南大陸の辺境の地に建つ学園。学園の名前はルミナス学園。広大な敷地の中には校舎と生徒が暮らす寮が別々に建ち、隣同士で並んでいる。
二つの建物を繋ぐ一階の渡殿を歩き、少年は外を見る。
白い花が群と成している、花畑。その中に立つ後ろ姿。少年に背中を向けているのは女性だった。長い銀髪が風に吹かれて揺れ、雰囲気はどことなく儚さを感じさせる。
「…………、」
少年は青い瞳を大きく開き、目が涙で潤む。声をかければきっと答えてくれる。それは分かっているが出来ない。
懐かしい後ろ姿に愛しさと切なさが込み上げて来て、声をかけたくなる。
口を開ければ嗚咽混じりの言葉にならない声が出る。距離は近い、きっと大声を上げて呼べばきっと反応がある。
両手を拳にし、強く握りしめて堪える。
涙で潤む両目を乱暴に拭って少年は渡殿を歩いた。
「ナイ?」
歩く少年の名前を呼ぶ者がいた。
ナイと呼ばれた少年は顔を上げて、自分を呼んだ者を見つめた。
「カイくん」
ナイの目の前には長身の男性が立っていた。ナイと同じ、黒を基調とした制服を身に纏い。澄んだ水色の髪と青い瞳、凛々しい顔立ちで全体的に整った容姿の男性が首を横に傾け、不思議そうな表情をする。
男性はナイから顔を横に向け白い花畑を見て、すぐにナイと向き合ってナイの黄褐色の髪を撫でた。
「カイくん?」
頭を撫でられたナイが不思議そうな表情を浮かべるもカイくんと呼ばれた彼は仏頂面。
「食堂へ行くのか」
「う、うん。ご飯食べに……」
校舎の一階にある大きい食堂へナイは朝食を摂るために向かっている途中だった。
ナイに聞いたカイくんと呼ばれた男性は小さく頷く。
「……この学園に新入生が入るらしい。もしかしたら、会えるかもな」
カイくんの言葉にナイは数分、沈黙。たっぷりと沈黙してナイは頭の中でカイくんの言葉を繰り返した。
……新入生、新入生、新入生?!
新入生ということはこのルミナス学園に新しい生徒が入るということだ。
「え、ええええ─────?!」
ナイは驚いて大声を上げた。
このルミナス学園に新入生。それはナイ以来の、ナイにとっては初めての外部からの新規加入。十数年ぶりの新入生なのだ。
よくロザリオ達が新入生を受け入れようと思ったなあ、とナイは思う。ちらっとカイくんを見れば、彼は仏頂面のまま。
ナイは眉を下げる。新入生の加入で困惑と驚きが大きい。
「でも、何でロザリオは加入を受け入れたんだろう……?うちはこういう学園なのに……」
ナイの疑問にカイくんは難しいと言わんばかりに眉を寄せた。
「まあ、何か考えてはいるんだろう」
カイくんの言葉にナイは頷く。
「あ、そういえばカイくんは今からどこへ行くの?」
「墓掃除」
「毎朝お疲れ様です。ありがとう」
「日課だしな。サラも花を摘んでる頃だろう」
「じゃあ、またね」
「……ああ」
短い会話のやり取りをした後、ナイとカイくんは別れた。
ナイは朝食を摂るために校舎一階の食堂へと向かい、廊を歩く。
嗅ぎ慣れた白い花の香りが懐かしさを感じさせる。
子供の頃からずっと傍にあった花。
「……お母さん」
ナイは独り呟く。
●
寮から渡殿を歩いて校舎へと移動し、ナイは校舎一階の廊下を歩いて食堂の出入り口の門を通る。ぱっくりと大きなアーチが口を開けており、歩いて通れば食堂だ。
食堂はパーティーも出来るようにと広く、大きく造られている。
テーブル席も複数用意されており、立食も出来る様にとスペースも広く取られている。内装は白とシンプルだが、上等で丈夫な石で壁と床を造ったとのこと。窓も大きく、庭師を雇って手入れされた庭園がよく見える。
この食堂に関しては古くからいる生徒数名が拘ったらしく、綺麗に造られている。
ナイは食堂の中を歩き、奥の厨房へ向かう。
厨房と繋がっているカウンターテーブルも設置されているので、カウンターテーブルに近づき、ナイは声をかけた。
「おはよう、ニクス」
名前を呼ぶと厨房側にいた青年が顔を出した。
赤色と橙色を混ぜたような髪と瞳の青年がカウンター越しにナイを見て明るく笑う。
「おう、おはよう! ナイ!」
彼の名前はニクス。陽気そうな大きめな瞳と、ころころと変わる表情に整った容姿の男性である。右耳には大きい石が付いた耳飾りをしている。
ナイと同じく黒を基調とした制服を身に纏っており、この学園の生徒であるということが分かる。
ニクスはすぐに冷えたグラスを厨房の中の冷蔵庫から取り出し、果実のジュースが入ったボトルを手に持つ。ボトルの中身をグラスに淹れて、それをナイの前に出した。
ナイはそれを視界に入れて。
「ありがとう」
ニクスに礼を言い、自分の前に出されたグラスを持つ。冷蔵庫に入れられていたグラスはよく冷えていた。
一口飲めば身体の芯まで沁み渡り、朝の寝起きの頭も冴えてくるようだ。
「何食べる?」
「ん、と……どうしようかな? 焼いたパンとサラダで良いかな?」
「ナイは食が細いな〜。もっと肉食べたらどうだ?」
「朝からお肉はちょっと……」
「……まあ、人狼じゃないと朝から肉はキツいか」
会話をしながらも手慣れているニクスはナイの朝食を作り始める。
ナイはグラスの中のジュースを見つめる。食堂の天井に取り付けられた照明に反射して、果実を絞ったジュースはきらきらと煌めいている。
綺麗だな〜、と呑気に思いながら光るグラスも見つめる。
ニクスが朝食を作っている音をナイは静かに聞いて待っている。
カウンターテーブルの席に座り、穏やかに朝食を摂る。そんな生活がずっと続けばいいのに……、という心の奥の思いがどこかである。
「昨日、アレクスが怒ってたぞ」
物思いに耽っているナイにニクスの言葉が届く。
ナイはその言葉とニクスが出してきた名前に肩が跳ねた。危うく手に持っていたグラスを落としそうになった。
ニクスが皿にサラダ用の野菜を盛り付けながら苦笑する。
「喧嘩したのか? 珍しい」
「……うん、喧嘩というか、ちょっと言いあいになって」
「それを喧嘩っていうんだよ」
ニクスに言われてナイは返す言葉もなく、再びジュースを飲む。
「何が原因なんだ?」
「……魔界の欠片の出現の調査と討伐依頼の同行を他の人と組むって話で言い合いになっちゃって……」
言いにくそうにアレクスという人物との喧嘩の原因を話したナイの様子を見て、ニクスはやはり苦笑の表情をする。
アレクスという人物もナイのことも知っているニクスは二人の思いのすれ違いに何と言ってやればいいのか、と考えた。
ニクスはナイに言う。
「そんなに焦ることないんじゃないか?」
「……そうかなあ。でも僕、世間知らずだし、アレクスに守られてばっかりだもの」
「アイツはそれが幸せだからいいんじゃないか?」
「……でも、僕が困る。もし、アレクスが僕以上に守りたい人を見つけて僕は独り残されて、何も出来ないじゃ僕が困っちゃうよ」
「それは確かにそうだな」
……まあ、アレクスがナイ以上の存在を見つけるという可能性は限りなく低いけど。
それは黙って置き、ナイの意見も分かるのでニクスは同意した。
ニクスの同意にナイも安心したのか、表情を緩めて。
「それにある程度は独りでもやれるようにした方がいいって、ロザリも言ってた」
ナイの言葉を聞いてニクスは心の中で思う。
……子育ての方針のすれ違い……。
これもナイに言う必要がないので黙っておく。
良い感じに焼いたロールパンをオーブンから取り出し、皿に乗せサラダが乗った皿と一緒にカウンター越しにナイの目の前に置く。
綺麗に消毒され、洗われたナイフとフォークをナイの前に置き、ニクスは薄い手袋を自分の両手から外した。
消毒液を溜めてあるシンクに手袋を放り込み、ニクスはナイとカウンター越しに向かい合って自分も冷えたグラスにジュースを淹れて一口飲む。
「……そうだ、ニクスは新入生の子に会った?」
ニクスが焼いてくれたパンを食べつつ、ナイが聞けばニクスは首を横に振った。
「いいや、まだ。──て、本当に入るのか?」
「カイくんが入るらしい、って」
「カイトが?」
「うん」
「……ふーん、そうか」
ナイから視線を外しニクスは何かを考えている様な態度を見せるのでナイは首を傾げる。
……自分が知らないだけってことなんだろうなあ。
思うがナイはニクスに言わない。思惑は人それぞれであることをナイはロザリオという人物から教えられた。若い自分では分からない、測れない部分もあるし彼らの関係も色々と複雑なのは少しぐらい知っているつもりだ。
「ニクス、今日のパンも美味しいね」
深くは何も言わずに問うこともせずにナイは美味しいパンを素直に美味しいと評価すれば、ニクスも喜ぶ。
「──だろ? この間、任務帰りに寄った村のパン屋のロールパンが美味しくて冷凍保存出来るものとか、近くの街への配達を頼んだんだ」
ルミナス学園に直接配達は遠いので近場の街に配達してもらってニクスが取りに行くのだろう。労力を割いて美味しい食べ物を仕入れて自分に食べさせてくれる。ニクスのおかげだとナイは微笑む。
「いつもありがとう、ニクス。次は僕も手伝うね」
「気持ちだけ貰っとくわ」
「何で?!」
「お前、手伝わせるとアレクスが怒ってくるんだよ……」
「ご、ごめん……!今度、僕からアレクスに言っておくね……」
「気にするな。アレクスの我儘は慣れてるし、よお〜く知ってる。長い付き合いだからな」
「……ほんと、ごめん」
我が保護者ながらに恥ずかしい、とナイは両手で顔を覆う。ニクスとナイの保護者であるアレクスという人物は幼馴染みで同郷出身らしい。
らしい、というのは昔の話なのでナイには確証が持てないことだからだ。ナイよりもニクスとアレクスと長く付き合いがある面々が言ってるので二人は幼馴染みで同郷出身なのは確かだろう。
アレクスからちらっと聞いたのは二人の故郷はもうないということだ。
……何があったんだろう?
常々とナイは思うも、聞いてまともに答えてくれるか分からない。けれど、ロザリオの言葉を思い出す。
アレクスとナイの境遇が似てて、アレクスは最初、ナイに同情をしていたと……。ロザリオから聞いた時、ナイはそうじゃないかなと予想はしていた。
それを聞いても自分とアレクスの関係はきっと変わらない。
「…………」
フォークを使ってサラダを口に運ぶ。
朝食を摂るナイ、グラスにジュースを淹れるニクス。そんな二人のところに。
「ナイ、ニクス。おはよう」
緑色の髪、鋭い金の両目と頭の狼耳。長身で細身だが筋肉のついたバランスの良い体躯の男性がナイとニクスに声をかけてきた。
ナイはサラダを食べつつ振り返り、ニクスは手を挙げた。
「はよー、コウ」
ニクスが笑って返事をする。
ナイは食べていたサラダを飲み込み、コウに挨拶を返した。
「おはよう、コウ」
コウの姿を見て、二人は首を傾げた。コウの背後に誰かいる。
……あれ?
ナイもニクスも見知らぬ気配と人物に困惑した。二人の困惑を察したコウは笑みを見せた。
「……新入生にお茶でも、と思ってな」
コウの背後から姿を見せる見知らぬ人。その人を視界に入れてナイの顔は真っ赤に染まり、ニクスは顎に手をやって笑う。
綺麗な黄昏色の長い髪、髪と同じ黄昏を閉じ込めたような美しい瞳。花を思わせるような唇と、滑らかな白い肌。
……な、なんて美人!
ナイは目を大きく開いた。
「えふふぁひやひふへえ……ふぇえ……」
しかも、姿だけ見るなら年齢は自分と然程変わらないであろう。
歳上だらけの周囲の中で育ったナイには同年代の友人はあまりいない。だから、どうしたらいいか分からず変な声を上げてしまった。
ナイの変な声にニクスは「なんて?」と不思議そうに眉を下げる。
「……あ、あの、は、初めまして……、私の名前はアサギと申します。よろしくお願い致します!」
見知らぬ美人はそう自己紹介して綺麗なお辞儀をした。
声も綺麗だ、とナイは顔を赤く染めて思う。ちょっと低いけど澄んだ綺麗な声だ。
「今日から入った新入生のアサギだ。二人ともよろしく頼む」
コウがアサギを紹介し、それを受けたニクスはへらりと笑って。
「おう!アサギ、よろしく!俺はニクスだ」
ニクスが自分を紹介し挨拶したのを聞いてナイは焦る。
「──あわわ! アサギさん、初めまして! ぼ、僕はナイと言います! この学園の、一番下でして、あの、その、よろしくお願いします」
吃ったり、途中で舌噛んだりしてナイは慌てふためきながら自己紹介と挨拶した。
……ひええええええ!!
内心、やってしまったと後悔しながらナイは声に出さず叫ぶ。
そんなナイとアサギの目が合う。
ナイの澄んだ青い瞳とアサギの黄昏の瞳が、視線が混じり合って────。
遠い日の、どこかの時代でも感じたことのあるような気配をお互いに感じた。
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