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2.秋野
提案。聞き慣れない言葉に首を傾けた一也に、その人はじれったそうな顔をして滑り台の階段に足をかける。
「いいや。そっちが下りてこないならこっちが上がる」
「二人も乗れないよ!」
慌てた一也に、その人はくすりと笑って階段の下から一也を見上げる。
「じゃあ、君が下りてよ。渋滞する前に」
変な人だ。
こんな変な人知らないけれど、相手はなぜか自分を知っているらしい。釈然としないながらも一也は滑り台を滑って地面に下りた。
「ああ、やっと普通に話せる」
言いながらその人は一也の前に歩いてくると、軽く腰を折り一也に顔を近づけて言った。
「自己紹介。俺が君のお父さんになります、名取秋野です」
「お、とう、さん?」
呆然と呟いた一也の前で、秋野はひょいっと腰を伸ばし、元通りの背筋を正した立ち姿でこちらを見下ろした。
「ああ、違う違う。本当の父親じゃないよ。養父っていうか……後見人ってやつ」
「ようふ……こう、け……」
「小二ってこういうのまだ難しいんだっけ」
その一言は口の中で呟いてから、その人、名取秋野はこめかみに軽く指を当てて思案してから言った。
「つまるところ、ここを出てこれから俺と暮らすってこと。後見人ってのは……まあ、君を援助する人っていうか。あしながおじさんってあるだろ。あれみたいな」
「え……じゃあ僕、おにいさんと将来結婚するの?」
確かDVDで見たあしながおじさんでは、主人公のジュディが最後、その支援者であり、友人の叔父でもあるあしながおじさんと結婚するところで話が終わっていたはずだ。
秋野はしばらく黙って一也の言葉の意味を考えていたようだが、ややあってくすくすと笑いだした。
「ちょっと待って。それは飛躍しすぎ。子供ってすごいこと言うな」
「子供じゃないし!」
「さっきまで泣きべそかいてたじゃん。子供みたく」
意地悪い口調に、一也はぷっと頬を膨らませる。秋野はその一也の顔をしばらく眺めてから、膨らんだ頬を軽くつついた。
「まあ結婚はともかく、家族みたいなものになるわけ。わかる?」
「でも……」
言いよどんだ一也を、秋野はやたら大きな目で見返す。一也はもじもじと指を動かしながら言った。
「知らない人についていったら……院長先生に怒られる」
「それはそうだろうね」
うんうん、と頷いてから、秋野は建物をふり仰ぐ。
「しっかり教育してるんだな。施設ってのもいろいろあるんだね」
「おにいさん?」
呼びかけた一也を、秋野はちらっと見やってから言った。
「秋野って呼んでいいよ。俺は君のお兄さんではないし。血のつながりもないし」
「あきの?」
「そう」
頷いてから、秋野はさて、と建物の方へ向かう。
「じゃあ手続きしてまたくるから。それまでに君は荷物でもまとめておいて」
「手続きってなに」
「だから、正式に君をもらいますっていう手続き」
あっさりと言ってひらひらと手を振ると、秋野は去っていった。ぴんと伸びたその背中を、一也はただ見送っていた。
冗談みたいな話だが、結局のところ手続きとやらはその数日後にはあっさりと済み、一也は秋野と暮らすこととなった。
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