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3.最愛
朝日が降り注ぐキッチンで、一也はフライパンに油をなじませる。卵を割りいれてから、トースターにパンを放り込む。冷蔵庫を開け、トマトを取り出してから、ふっと一也は壁の時計を見上げる。
七時五十分。
「あきのー」
声を張り上げるが返事はない。
まったく。低血圧のくせに徹夜するから起きられないんだ。
一也はコンロの火を止め、エプロンで手を拭くとキッチンを出る。出てすぐの廊下を進み、突き当りのドアをノックするがやはり返事はない。
やれやれ、とため息をつくと、一也は乱暴にドアを引き開けた。
「おい、起きろって! 今日は朝から会議だとか言ってたよな」
怒鳴るが、窓側に置かれたベッド上の毛布はぴくりとも動かない。こいつまだ爆睡していやがる、と呆れつつ、一也はベッドに近づくと勢いよく毛布をはぎ取った。
「ちょー……なに。今、かなりいい感じの睡眠状態なんですけど……」
ベッドの中で丸まっていた塊が春先の冷気に身をますます縮めて抗議する。が、一也はそれくらいで勘弁する気はさらさらなく、さらにカーテンを全開にした。太陽の光がベッドの上にまんべんなく広がると、塊は枕に顔を押し当ててうめいた。
「君さあ……年長者に対する態度っていうか……そういうの学校で習わないの」
「そういうのは親が教えてくれたりするものだろ。俺は習ってないね」
皮肉で返すと、ベッドの中で往生際悪く丸まっていた塊は寝癖のついた髪を押さえて起き上がった。
「生意気に育ったねえ、君」
寝起きで重たげな瞼を抑え、秋野はしぶしぶベッドから降りる。寝乱れたパジャマの裾を見かねて直してやりながら、一也はため息をついた。
「秋野さ、せっかく美人なんだから、ずぼらなとこ直せば」
「はあ?」
あくびをしながら振り返り、秋野は、ふん、と鼻を鳴らした。
「くだらない。別に誰にどう思われたって構わないし」
言いながら寝室を出ていく秋野の後に続いて部屋を出ながら、一也ははあっと息を吐いた。
「俺は嫌なの。俺の最愛の秋野が後ろ指指されるのは」
「馬鹿じゃないの」
言い捨ててキッチンへと入った秋野は、食卓について言った。
「君さあ、いい加減、その最愛とかいうのやめたほうがいいよ。絶対おかしいと思われるから」
「最愛は最愛だ。なにがいけないの」
「いけないだろ。普通に」
呆れた顔をする秋野の前に目玉焼きの乗った皿とトーストを置く。コーヒーメーカーからコーヒーを大きめのマグカップに注ぎ、ブラックのまま差し出すと、秋野はしかめていた顔を和ませて、ありがと、と呟いた。
自分用にコーヒーをカップに注ぎ、たっぷりの牛乳を入れてから秋野の向かいに腰を下ろして一也は、トーストにマーガリンを塗っている彼の姿を眺める。
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