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4.君に感じるのは感謝と、そして
確か今年で三十五歳になるはずだが、秋野の容姿にはあまり変化が見られない。相変わらず見るものを圧倒する美しさを保ち続けている。ただ、それでも変わったところを挙げるとするならば、出会ったばかりの頃にはあったはねっ返りみたいな空気が失せて、冷たささえ感じる落ち着いた表情を浮かべるようになったことだろうか。それは多分、一也を引き取った当初はまだ二十代も半ばで、学生の匂いが完全には抜けていなかったからだろう。そんな彼も今は、化学薬品の会社の研究員として勤め続け、主任と呼ばれるまでになった。
化学薬品会社の研究員がどの程度大変なのか一也は知らない。が、歳の割には高給取りであるらしいところから察するに、かなりの重責を担っていることは想像に難くない。しかも、子育てをしながら働くというのは、並大抵のことではなかったはずだ。
今でこそ一也も手のかからない年になったけれど、引き取られてすぐの頃はまだ小学生で、その小学生の自分を育てるために秋野はかなり無理をしたと思う。仕事を途中で抜け、夕飯を一也に食べさせ、お風呂の支度をして、寝かしつけてまた会社に行き、明け方にまた戻るというような不規則な生活をしていた秋野のことが、一也自身、子供心に心配で、そして申し訳なく思っていたものだ。
自分を引き取るなどということをしなければ、彼はこんな苦労をしなくて済んでいたろうにと。
ただ、当の秋野は見た目の儚さとは裏腹に、そんな不規則な生活にも泣き言一つ言わず淡々とこなしていた。今思えば、一也の前では出さないようにしていただけかもしれないが、それにしても普通ならもっと表情に出ていいはずなのに、一也はこの十年、秋野のそんな不満顔を一度も見たことがない。もしも隠していたのだとしたら大した役者だと思うし、とても忍耐のいることだったと思う。
我慢強く、明確な優しさを口にはしないけれど、いつも傍にいてくれた人。それが秋野だ。
だから。
「なに、じろじろ見て」
バターナイフを置き、トーストをかじった秋野が胡乱な顔でこちらを見る。
一也はコーヒーカップの中身をぐるぐるとかき回してから、告げた。
「やばいくらい綺麗だと思って」
秋野はまじまじと一也を見返してからトーストを再び口に運ぶ。トーストを咀嚼し飲み込んでから、秋野はおもむろに顔を上げた。
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