130人が本棚に入れています
本棚に追加
60.行かせるんじゃなかった
一瞬、空気が固まった。
奇妙な沈黙のあと、口を開いたのは一也だった。
「うん。付き合ってる」
ぎょっとして彼を見ると、やけに堂々とした顏で一也は井上を見据えていた。
「いつから?」
井上はサバの身をほぐしながら尋ねる。
「二週間前から」
「って……あれじゃん……お前が家出から戻って来てすぐじゃん」
井上ははああ、とため息をつき、箸を置く。
「そんなことになるなら、秋野を一人で迎えになんて行かせなかったのにな。あのとき」
ぼそぼそと言う彼に、秋野は恐る恐る声をかけた。
「井上は……反対なんだ」
「普通に考えて反対だろ。どう考えても」
「だよね……」
わかってはいる。普通の付き合いじゃないことくらい。
黙り込んだ秋野の横で一也がむっとしたように言った。
「なに、だよねって。秋野は後悔してるの」
「後悔はしてない。だって……」
言いかけて秋野は口を噤む。
多分、自分は一也と離れて生きていくことができない気がする。思った以上にやられているのはむしろ、自分のほうだ。
「だってなに」
井上に畳み掛けられ、秋野は横を向く。
「別にいいだろ」
「よくはない。俺の立場はどうなる」
がたん、と椅子を蹴立てて立ち上がった井上に、秋野は目を瞬く。
「立場って?」
「お前、まさか、本気でわかってなかったんじゃないよな」
「だから、なにが?」
なにを怒っているのだろう。いつもへらへらしている彼が声を荒げるなんて珍しい。驚いて背を逸らした秋野を、井上は数秒まじまじと見つめた後、言った。
「あのさあ、俺、お前が好きなんだけど」
最初のコメントを投稿しよう!