となりの拷問屋さん

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数ヵ月が経った。 店主が新しい拷問道具作りに夢中になっていると、夜明け頃、突然の来客があった。 「まだ店は開いてないぜ」 「わかっている……。だが、朝まで待てなくてな……。はぁはぁ、失礼を承知で入らせてもらった」 「……その声、お前、あのときのガキか!」 「ガキでは、ない……。それにもう結婚している……」 息を切らして入ってきた若者は、例の拷問ヘルメットを自らかぶっていた。黒い血でぬらりと光ったツカをひっさげ、左手には綺麗な女性と手をつないでいた。 「だれだ? その女は」 「私の……ワイフだ……それよりカギを」若者は満身創痍といった状態であった。今にもぶっ倒れそうな様子である。 「わかったわかった、ちょっと待ってろ」店主はカウンターに引っ込むと引き出しから例のカギを取り出し、急いで、しかし慎重にそれをカギ穴に差し込み、首輪の施錠を解除した。 拷問ヘルメットを脱いだ若者は、改めて後ろを振り向いた。 「ああ、妻よ……やはりあなただったか!」 「あなたこそ、よくぞ苦難に耐え切りましたね」ボロボロと涙を流しながら、抱き合うご両人。店主は目のやり場に困った。 店主は改めて拷問ヘルメットの状態をチェックした。外見はオンボロであるが、まだ正常に作動するみたいである。試しに自分の手を差し込んで、ヘルメット側頭部をチョンと触ったら、ぐりん、とヘルメットが1回転した。 若者とその妻は喜びを分け合ったあと、今度は店主に向けて感謝の言葉を連発した。 「この度は私ならびにワイフの命を助けて頂いて本当に感謝しております」 「あなたこそ私たちの真のキューピットたりえる存在ですわ」 「何度、くじけそうになったことか……その度この道具の恐ろしさを想像して戦慄し、ここまで耐え抜くことができました」 「あなたはあたしの命の恩人です」 普段感謝され慣れていない店主は、背中をがりがりと掻きながら「やめてくれぇ、こそばゆいぜ」と間抜けな声を発した。 自分の道具が利用され人の苦しむ姿を肴にして一杯飲む店主にとって、これはまごうことなき新体験であった。 三人の感情が落ち着いたころに、ぽつぽつと、若者は事情を語りだした。 「これは内密にしておいて欲しいのですが……私はオルペウスの息子なんです」 「はぁ? オルペウス?」店主は双眸を開いた。 「しーっ! 声が大きい」 「オルペウスといったら、奥さんは美人で有名なあのエウリディケだろ? あの夫婦の間に子供はいなかったはず……」 エウリディケはオルペウスとの間に子はないまま、野原で毒蛇に噛まれ命を落としたという噂であった。 「実は亡くなる前に出産していたんです。それが私です。私は、女嫌いで有名な父オルペウスの住む家の地下室で育ちました。私の存在が明らかにされていないのは女嫌いの父に隠し子がいたという噂が広まると奥さん一途であるという評判に傷がつくと思ったからでしょう。たとえ奥さんの子であると言い張っても信じてくれないと考えたんです」 「この平和な時代にゴシップは欠かせないからなぁ」店主はやれやれといった仕草をした。 「父オルペウスにとっては私は大事な母親の忘れ形見です。町娘に対してはドブネズミのごとく扱っていましたが、息子の私には大変優しかったんですよ。そこで私は教えられました。かつて毒蛇に噛まれた母エウリディケを生き返らせるために、竪琴をもって単身冥界の地へ降り立ったと……」 それはここギリシャでは数年前から伝わっている有名な話だ、と店主は思った。冥界の地をひた進むオルペウスは、剣ではなく竪琴を鳴らすことで、敵をその音色に酔わせて退けていったという。なんせ樹木や石ですらその音色に感動するというほどの手腕である。それは冥界の王ハーデスにも発揮され、音色に感動したハーデスは特別にエウリディケを地上に返すことを許したという。 だが条件があった。エウリディケの手を引いて戻る間は、決して彼女のほうを振り返ってはならないと。オルペウスは最初その約束を頑なに守り続けていたが、地上の光がみえてきたとき、つい油断して彼女のほうを振り返ってしまった。「さよなら、オルペウス」その言葉とともに、彼女の姿は消えてしまったという。 「結局奥さんの蘇生は失敗したんだよな」店主が頬杖をつきながら言った。 「はい、私の父はその話も、その失敗も、余すことなく僕に話してくれました。僕が成人する頃には父は亡くなってしまいましたが、僕にはこの話が深く深く心に刺さったんです」 「それで?」 「私はその話を聞いた次の日から、剣の腕を磨きました。父親のような音楽の才能のない者は対抗手段を身に着けないとたちまち敵の餌食になってしまう、と考えたんです。そして成人になってから、牧場で働く娘を嫁にもらいました。それが今のワイフです」 紹介された奥さんはぺこりとお辞儀をした。 あわてて店主も頭を下げる。 ニコっと笑った奥さんは、長い裾をたくしあげ、白くて細い右足首をみせた。そこには噛み傷らしきものがあった。 店主は、握りこぶしをポンと叩き、合点がいったという仕草をした。 「ははぁ、見えてきたぞ」 「見えてきましたか」若者が相手と調子をそろえる。その後三人で高らかに笑いあった。店主が指摘する。 「牧場ではたらくお前の奥さんも、毒蛇に噛まれて一度おっ死んだわけだ」 「その通りです。それが半年前。私はご多分の想像に漏れず、冥界へ乗り込みワイフの命を取り戻そうと躍起になりました。ただひとつ懸念がありました」 「親父さんと同じ失敗はできない、どうしたもんか……と」 「はい。ハーデスの元へ行くのは難しいことではない、と思っていました。これまで磨いた剣技がものをいうだろうと。だが振り返ってしまう禁忌。これを犯さないで済む絶対の方法さえあれば、ワイフを百パーセント連れ戻すことができると。そこで私は考えたんです。どうせ振り返ってしまう誘惑に襲われるなら、を身に着けてワイフと帰ろう、と」 店主の疑問は氷塊した。確かにあの時店主の発明した拷問ヘルメットは、少しでも振り返った時点で頚椎をねじ切り死に至らしめる装置そのものだった。 拷問以外の要件でこれほどまでに需要と供給がマッチした例は過去にない、と店主は後に述懐することになる。 「だからカギを俺に預けた訳だったんだな」 「そうです。僕やワイフが持ってたのでは意味がない。僕は道具をもってハーデスの元へ行き、父親同様に交渉をすすめ、あえて敵の策に乗りました。ワイフの手を握る直前、あの道具を自分でかぶり、一度も妻のほうを振り返ることなく地上へと生還することができたんです」 「あの拷問ヘルメットをしながら敵を斬るなんて大したもんだぜ」 「首を動かせないだけで極端に視野が狭くなりますからね。気分は盲目の剣士みたいでしたよ。それと何度妻の様子を確認したい衝動に駆られたことか。うんともすんとも言わないワイフを、正真正銘我が妻の手であると自分で納得させるには相当の克己心が必要でしたよ。でも最後までその衝動を抑えられたのはこの道具のおかげです。ありがとうございました」 三人はその後ちょっとしたティーパーティを開いて、解散した。 にぎやかさの去った後の店内の静けさ。それに反して店主の気持ちはいくぶんフワフワとしていた。 悲嘆にくれる罪人の不幸をのぞきみするのが自分の趣味であったはずが、今はなんとなく違う気分になっていた。 「感謝される、っていう気持ちも悪くねえな」 店主はオンボロの拷問ヘルメットをぽんぽんと叩きながらつぶやいた。 その後、拷問道具製作専門店はいったん店を閉めて『奇術師道具制作屋』と看板を変えて、仕事内容も一新した。 人を苦しませる道具ではなく、奇術により人を楽しませる道具をつくろうと店主が心変わりしたのだ。 王室とのコネは途切れて、裕福ではない余生を送ったが、それでも店をとりまいていた不穏な空気はなくなり、代わりに町の子供が集まるようになった。 毎日笑顔に囲まれて過ごすうち、店主の表情もいくぶん柔和になったとか。成人した子供たちにはこっそり奇術のネタを明かし、奇術道具の制作技術もこっそり教えたそうだ。人の目を欺き、相手を楽しませる技術は普遍的ニーズがある。その技術は綿々と長く、ひたすら長く時代を超えて継承されていった。 店主によって次々と発明された奇術道具は、数千年のときを経て、遠く隔てた極東の地、ヤーパンでも現役で活用されているという。 真っ赤な緞帳が開いて、舞台の上で二人の奇術師がヘルメットの形状をした帽子を持ち出して言う。 「さあ、みなさんお待ちかね。取り出しました。恒例の『あったまぐるぐる』ですよ~」 (完)
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