209人が本棚に入れています
本棚に追加
ある黒騎士side密偵ハルマ
「アッシュさん、これ厨房から差し入れですって。良かったらどうぞ。」
そう言って屈託のない笑顔で、私に籠の中の焼き菓子を差し出すのはハルマだ。ハルマがここ黒騎士団に監視対象として配備されてから、10日ほどが過ぎていた。
元々人懐っこい性格なのか、あるいはハルマの醸し出す庇護欲を掻き立てられるその珍しい風貌のせいなのか、ハルマはあっという間に黒騎士団に馴染んだ。
騎士団では資金部の仕事をしていて有能だったという情報もあったが、さすがに密偵疑惑のある人間に仕事をさせるわけにいかなかった。
そこでもっぱらハルマは雑用を一手に引き受けていたのだが、その少年のような身体つきで勤勉に働いた。こちらが少し休んだらどうだと声を掛けるほどだった。
幹部の食事の手配などをしていたせいか、王宮の厨房に出入りしてそちらでも料理人と仲良くなったのか、珍しい菓子を運んで来るようになった。
「僕の国の菓子の話をしたら、ぜひ作ってみたいと言われてレシピを渡したんです。さすがに王宮の料理人ですね。僕のうろ覚えのレシピでこんなに完成度の高いものを作るんですから。
もしかしたら僕の国のものより美味しいかもしれません。」
そう言ってにこやかに笑いながら、ハルマは私たちに美味しい菓子を楽しむお茶の時間をもちこんだ。甘いものは仕事の効率を上げるんですよと自慢げに話すハルマの言う通りに、最近の黒騎士団は仕事量は変わらないのに余裕があるように感じた。
三日に一度は訪れる騎士団の騎士が顔を見せると、ハルマは嬉しそうに元気なので心配しないで下さいと健気に話すのが見てとれた。こうも違うメンバーが顔を見せるかと呆れるようだが、ある若い騎士に対しては違う反応を見せた。
あの騎士は確か随分腕が立つという噂の辺境伯の子息ウィリアムという男だった。その男が顔を見せた時、明らかに動揺したハルマは一瞬で泣きそうな顔をして、唇を噛み締めた。
相手の騎士も、顔を強張らせて私に少しハルマと話したいと断りを入れて、ホールの端で二人窓辺に立って親密な様子で話をしていた。
ここに来てから屈託のない様子で頑張っていたハルマが、明らかに萎れた様子でその騎士と話し込んでいるのを見ていると、普段ハルマが気丈に振る舞っていたことがはっきりして、我々は顔を見合わせたんだ。
騎士が立ち去った後に、目を赤くして照れたように笑うハルマに、私たちは何となく悪いことをしてる気分になったのはいうまでもない。
最初のコメントを投稿しよう!