冬よん

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冬よん

 神社の名前の入った袋。中身が何かはすぐに想像はついたが、朝臣は暫し開けられないでいた。 「おめでとう。いらないのか」 「あ、ありがとうございます。いります」  中に入っていたのは、やはり御守だった。学業御守と書かれている。 「誕生日、知ってたんですか?」 「大家さんが結構前に言ってた。元日は忘れないだろ」 「これ、くれるんですか」 「わたし勉強嫌いだから、いらない」  いらないと言われた物を貰うとは。それでも嬉しいのは隠せなかった。御守を紙袋に戻してコートのポケットに入れる。 「大事にします。永遠に」 「いや来年には神社に返せよ。あと試験頑張れ」 「頑張ります」  よし、帰るか。優夜と共に神社を出ていく。  こんなに人が出歩く夜は今日くらいだろう。朝臣はポケットの中に入れた手で、その紙袋の存在を確かめた。 「新年か……」  まだ遊びたい、と続くと思った言葉は違った。 「引越し先、見つけないと」  優夜が空を見上げて言うので、白い息が見える。 「関西、戻るんですか」 「それは無い。鎌崎もこっちに居るし」 「爺ちゃん家に居たらどうですか」 「大家さんも良い迷惑だろ。朝臣とわたしの面倒みるなんて。なに、朝臣寂しいの?」  得意げに笑う優夜に、朝臣は漏れそうになる言葉を飲み込む。  孤独とは違う、寂しさ。その場所がぽっかりと空いてしまう寂しさ。 「大丈夫だ」  言葉が離れる。緩んだ歩に、優夜は気付かず進んでいった。  あの日の朝も、こんなことがあった。 「人は抱えられる思い出の量が決まってる。朝臣もきっとこれから大事なものが増えて、わたしのこともきっと忘れる」  息を吸うと、冷たい空気が肺を占める。それが滲みて、痛い。痛くて、泣くかと思った。  朝臣は口を開く。 「……忘れません」 「いや、忘れるよ。すぐにとは言わないけど」 「忘れません!」  声の遠さに優夜が足を止め、振り向いた。  あの朝と違うことは、朝臣も優夜も、その距離を埋めようと歩み寄ることはしない。 「忘れて良いんだ。そういえば高校の頃、近所に画家がいたなってたまに思い出すくらいでちょうどいい」  明日のパンを一緒に買いに行こうと言ったときと同じような穏やかな顔で。 「それは、優夜さんもいつか、ここに居たことを忘れるってことですか? ……俺の、ことも」  約束したことも。  心の友である鎌崎のことは忘れなくても。  近所に住む、ただの高校生のことは。 「忘れるよ」  痛くて泣きそうだったそれが、一瞬赤く燃えたのが分かった。悲しみか、怒りか、悔しさか。  くら、と目眩がするほど。  朝臣は半開きになった口を結び、言葉を飲み込もうとした、が。 「今のこの気持ち、絶対に忘れません。優夜さんが忘れても、これからどんなに死にたくなっても、約束したことも、ここであったこと全て、ずっと覚えてます」  言葉と想いは溢れ、零れる。それを掬い上げる術はなく、ただ目の前に流れ行くまま。  血だったら、きっと赤の色をしていた。  朝臣は大股で歩み寄る。 「俺、優夜さんが好きです」  優夜は目を丸くして固まっていた。 「……え? わたし?」 「はい。恋愛的な意味で」 「れんあいてきな、いみで」  他の意味で取られないよう、先手を打つ。同じ言葉を馬鹿みたいに復唱して、瞬きを数度する優夜。 「憧れとか尊敬じゃなくて?」 「違います」 「それを否定するのもどうかと思うけど」 「今日で満十八歳になりました。法律的上では結婚できます」 「けっこん、て」  若干引いた顔。鎌崎と同じ反応に、やはり血の繋がりを感じる。  しかし、朝臣は引かない。鈍感なのと同時に、肝が座っているのだ。十代とは思えない堂々さに、優夜も怯む。 「待った、落ち着け。朝臣」  掌を前に出して、優夜は距離を保った。 「落ち着いてます」 「いや、朝臣は今、甘酒で酔ってる。な?」 「え……」  甘酒で酔うわけがないだろうが。とも言い切れないが、染川一家は酒豪揃いで有名である。両親も祖父母も蟒蛇(うわばみ)だ。朝臣が甘酒で酔うのなら、どこでその遺伝子を拾ってきたのだ、という話になる。  そんなことを知るはずもない優夜は続ける。 「あんたは今酔ってる」 「酔ってません」 「酔ってないなら、さっき言ったこと覚えてるな?」  出された手の人差し指が朝臣へと向けられた。  人を指差してはいけない、のだが。 「ずっと忘れないって言ったやつだ。酔ってないなら、この先もさっき言ったこと、覚えてられるな?」  確かめるような言葉に、朝臣は頷く。優夜のピアスがきらきらと街灯に反射していた。 「朝臣が大学入って卒業して花を売る仕事に就いたら、わたしと仕事をする。その時に、その話の続きをしよう。れんあいてきな、いみの、けっこんとかの、話を」  異世界の単語のように、片言に言葉を紡ぐ。  朝臣は以前、日本人男女の平均寿命を調べた。優夜との年の差は一生無くならない。それでもどちらにも終わりはいつか来る。それまでは一緒にいられると考えたからだ。  その時は、寿命まで短いと感じていた。  しかし、優夜の提示した時まであとどれ程かかるのか? 考えただけでも、遠い未来の話だ。  そうじゃない。頭の中で、ぼんやりと答えは出ている。これは遠回しに断られているのだろう。  視線が下がる。 「そんな風に、希望を持たせなくても、普通に断ってくれれば」 「断ってるんじゃない。朝臣」  名前を呼ばれた。反射的に顔が上がる。 「わたしは一生覚えてる、朝臣が好きだって言ってくれたこと」 「さっきは忘れるって言ったじゃないですか……」 「大事なことはちゃんと覚えてる。朝臣が忘れても」  色素の薄い瞳は煌めく。それに惹き込まれ、朝臣は黙った。優夜の人差し指が朝臣の鎖骨の下辺りに当たる。 「これを今だけの口約束にするかどうかは、朝臣が決めろ」  狡い、と思う。でも、抗えない。 「……わかりました」 「よし。じゃあ帰ろう」 「はい」  人差し指はコートのポケットの中へ戻っていく。  優夜が夜の中を歩き出し、朝臣がそれを追う。闇の中に融けていってしまいそうなその腕を取り、ポケットから出した。  手を握ると、優夜は顔を見上げ何か言いたげにしたが、結局何も言わずにそのまま前を向く。手を繋いで二人は夜を歩いた。  朝臣が起きると明るくなっており、雅史の家の布団に居た。下の階から雅史や両親や親戚が話す声が聞こえた。年始はこの家に人が集まる。  デジタル時計は元日を示している。昨夜は優夜と二年参りに行った。いや、そういう夢だったのか? 目を擦って起き上がる。手が何かに当たり、そちらを向く。  御守と書かれた白い紙袋があった。
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