冬ご

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冬ご

 喫煙ルームの端で、膝に顔を埋めて小さくなる姿を見つけた。終日禁煙が殆どのファミレスで謳われる中、ここのファミレスは分煙されており、優夜が偶に来ているのを知っていた。 「ひどい顔」  透明な扉を開けると壁に染み付いた煙草の匂いがした。優夜は少し顔を上げて鎌崎を見てから、手に持っていた煙草の火を消した。  年々値上がりして、今や高価な嗜好品だ。それでも手放せない。 「飲んでたの?」  煙草と共に香るアルコールの匂いに、鎌崎は尋ねる。現在、午前五時過ぎ。この時期の外は当たり前に暗く、そして寒い。  鎌崎の言葉に小さく頷く。  ここに来るまで一人で飲んでいた。 「鎌崎、知ってたのか」  しかし全然酔えず、諦めてコーヒーを飲みながら煙を吸っている。身体に悪いことこの上ない。 「え、なにを?」  てっきり絵が描けないから自棄酒をしていたのだと思っていた鎌崎は優夜の言葉に首を傾げる。喫煙ルームの扉が開き、店員が鎌崎の分のカトラリーと、来た時に注文したブレンドコーヒーを置いた。  「ごゆっくりどうぞ」という言葉に愛想笑いを浮かべて、鎌崎はコーヒーに口をつける。喫煙ルームは貸し切り状態だが、禁煙の方にも人は殆どいない。始発までの時間潰しというより、目的もなく来ている方が多い印象だ。 「朝臣、わたしのこと好きなんだって」  嘲りよりも戸惑いが大きい。  鎌崎はコーヒーを噴き出しかけた。ごほごほ、とテーブルに手をついて噎せる。 「鼻からコーヒー飲む練習か?」 「ちっ、がうわよ、な……何か言われたの?」 「そのまま」  何も間違ったことは言っていない。優夜は膝を抱いたまま横の壁によりかかる。  落ち着いた鎌崎が息を吐いて、それから尋ねる。 「もしかして突っぱねたの?」  きょろりと優夜の視線が上がった。 「知ってたな?」 「……まあ、見てれば分かるわよ」 「なんで止めないんだよ」 「ちゃんとやめといたらって言ったって。それで、どうしたの?」  優夜がそれを受け入れるとは端から思っていない。眠る時間が子供と同じくらいでも、行動原理が小学生に似ていても、高校生の知り合いが多くても、優夜は成人済みの大人だからだ。  鎌崎や優夜がこれから進む道と、朝臣がこれから進む道は全く違うものだろう。その分別がついている。 「別に、なにも」 「まさかばっさり断ったり」 「してない。先延ばしにして、誤魔化した」  そう、と鎌崎は頬杖をついて思う。こんな会話を朝臣には聞かせられないな、とも思う。  優夜のことだ。急に厳しく冷徹になり、朝臣を斬ることもやりかねない。しかし、そんなことも無かったらしい。 「……怖い」 「何が?」 「これから受験なのに、よくあんなことができる。朝臣って馬鹿なの?」 「優夜にだけは言われたくないと思う」 「高卒だから?」 「じゃなくて。後先考えないところ、似てるから」  初めて、優夜と制服を着た朝臣を見たとき。  どうするつもりなのだろう、と言葉が鎌崎の頭を過ぎった。  学校に青春があって、未来が無数に広がる高校生が、優夜と一緒に居る事に何の意味があるのか。それを優夜は理解してるのか。 「朝臣くんに一緒に仕事しようって言ったんでしょう?」 「言った」 「本当にそうなると思うわよ」 「鎌崎みたいに?」 「あたしみたいに。ちゃんと優夜がどこにいるか調べて現れる、一万賭けても良い」  優夜は何とも言えない顔をする。大きく出たな、という感情と、楽しみな未来に。 「まあ、調べる必要はないようになってたいよな。わたしはそれに二万」 「何よそれ、狡い」  煙草のケースは空だった。それをくしゃりと握りしめて、優夜は膝を伸ばして大きく伸びをした。  呆れたように笑う鎌崎が頬杖をつく。 「で、絵の進捗はどうなの?」 「全然」 「そうよねえ……」 「でも、なんか、描けそうな気がする」  ぐるりと大きく腕を回す。鎌崎はコーヒーを飲みながら頷いた。 「引越し先、どうするの?」 「染川家の子にならないかって朝臣に誘われたんだけど」 「冗談じゃなくて。改修工事、三月よね。探しておくわ」  頼まなくとも探す姿勢でいる鎌崎に、優夜は苦笑する。 「もし見つからなかったら、鎌崎の家転がり込むから」 「断固拒否」 「じゃあ小塚にマンション買ってもらおうかな」 「止めなさい本当に」  呆れた顔で鎌崎が脱力した。携帯のメモ帳に物件探しを追加する。窓の外が明るくなるのが見える。漸く朝日が昇るらしい。  がやがやと禁煙スペースの席が混み合い始める。モーニングが始まるのだろう。優夜はコーヒーを飲み干して席を立った。 「鎌崎、金貸して」 「え?」 「そういえば財布忘れたんだった」 「あんたねえ……」  だから呼び出されたのか、と溜息を吐く。しかし、財布を忘れて携帯を持ち歩くなんて、優夜にしては珍しい。というより、進歩だ。  鎌崎はそんなことを思いながら、伝票を持った。  受験日の朝、母親の作った弁当を持たされ時間より早くに朝臣は家を出た。雅史の家の祖母と仏壇、神様に挨拶をしてから、アパートの方へ行く。  夏にここへ来たら、階段に優夜が座って煙草を吸っていた。静かに階段へ歩み寄るが、そこには誰の姿もない。  優夜の様子を見るのは花壇を見るついでだったが、いつの間にか目的になっていた。  優夜とは、正月に会ったきりだ。学業御守と高梨がくれた五角鉛筆は鞄に入っている。この前来た鎌崎からは誕生日祝いとして図書カード五千円分を貰った。それも財布に入っている。  階段の下のコンクリートで固められた陰に小さな鉛筆が転がっているのが見えた。屈んで、それを拾う。2Bの鉛筆。いつもここで、優夜が模写している時に使っていたものだ。  もうすぐ、優夜がきて一年が経つ。花壇を見た。寒さに負けず、一年草たちが咲いている。  小さな鉛筆を鞄の中に入れて朝臣は駅へと歩き出した。 「おはよ」 「うーす、眠い」 「それな」 「試験中寝そう」 「俺模試中寝たことある」 「それはねえな」 「俺もない。あ、こっちだ」  試験会場へ向かういつもの面子。ぞろぞろと三人並んで歩く生徒は他には見えない。  廊下の分かれ道で立ち止まり、朝臣は二人の行く反対の方向を指差す。 「左だ」 「ん?」  高梨が尋ねた。白木もその後ろで朝臣の方を見ていた。朝臣だけがここで二人と分かれる。  行く方向が左手側。 「いや、今日はたぶん、大丈夫だ」 「すげー自信」 「じゃあ」 「健闘を祈る」 「帰り一緒になったら帰ろうぜ」  ああ、と答えて足を進めた。
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