翌春さん

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翌春さん

 水たまりに桜の花びらが浮いていた。満開は過ぎ、昨夜の雨で一割は吹き飛んでしまったように見える。空気は澄み、少し冷たい。  待ち合わせ時間、五分前。珍しく優夜はその場所に立っており、珍しく携帯を片手に持っていた。  鍵や財布の入っているバッグは忘れても携帯だけは持ち歩くという習性を身に着けたのは良いが、本当に他の貴重品を忘れることがあるので鎌崎に絶句される。その鎌崎を待っていた。  指定されたコンビニの側面で車を目で探すが、見当たらない。十分前にはいつも到着しており、五分遅れで現れる優夜に酒を飲んだ鎌崎から「あたしは十五分は待ってるのよ」と管を巻かれたのは一度や二度ではない。  死んでも遅れるな、と指定された時間が本来の三十分程前であり、優夜もその五分前にここへ立っているわけだが。  居ない。  携帯を見るが、連絡も特にない。時間がちょうどになり、不安が頭を過ぎった。何か事故でもあったのか。  同時に着信があり、跳ね上がる程には驚いた。鎌崎からだ。 「もしもし」 『優夜、いつもとは反対側の道で待ってるわ』 「反対?」 『そう、コンビニの』  通話したまま優夜は動いた。そして、いつもの鎌崎の車を見つける。 『あら、今日はぴったり居たのね』 「死んでも遅れるなって言ったの鎌崎だろ。死んだら一生辿り着けないけどな」 『言葉の綾じゃない』  それを聞きながら、優夜は助手席の扉を開けた。通話ボタンを切り、扉を閉める。 「眠い。授賞式寝るかも」  欠伸を噛み殺しながらシートベルトに手をかけた。隣の席の違和感に、ぱっとそちらを向く。  シートベルトを掴んだまま固まった。 「……え」 「おはようございます」  スーツを着た朝臣が居た。  驚き、言葉を失った優夜は視線だけを後部座席へ送った。そこにいるだろうと踏んで。 「おはよう。道混んでて、あっちに回れなかったのよ」  ひらひらと手を振る鎌崎。 「え、は? な、朝臣……運転、いつからそんな非行に走って」 「無免許じゃありませんし、ちゃんと初心者マークつけてます」  免許証を出すと、優夜はそれを受け取った。確かに生年月日には十八年前の一月一日が記されている。正真正銘、染川朝臣の免許証だ。 「……謝るよ」 「はい?」 「賞取ってから会いに行くって言ったのに、その時間が無かった。申し訳ないと思ってる、から、鎌崎と運転代わってください」  後生だから、という勢いで懇願され、朝臣は遠い目。後部座席の鎌崎は必死に笑いを堪えていた。 「少なくとも優夜よりは安全運転よ」 「優夜さん、どんな運転してるんですか……」 「わたしと比べてる時点で終わってるからな」 「じゃあ代わりましょ。二人は後ろに乗って」  何故自分も後ろに、と優夜の視線は語ったが、鎌崎の笑顔の圧に負けた。  二人並んで後部座席へ移動し、優夜はパンプスを脱ぎ捨て、膝を抱く。 「じゃあ、サロンでメイクとヘアセットして会場に向かいましょう」 「朝臣は?」 「一緒に行くわよ? 壬生さんに席ひとつ取ってもらったの」  春先のパーティーで会った雑誌編集に転職した壬生だ。使えるコネは全て使う、鎌崎らしい。  招待券を見せる用意周到な鎌崎に、優夜は閉口。隣の高校生、だった男に視線を向ける。 「絶対眠くなると思う、可哀相に」 「それは優夜だけでしょ」 「全く興味のない授業を受けるって想像してみろ。寝るしかないだろ」 「それは優夜さんだけですよ」 「四面楚歌……」  泣く真似をする優夜。  ポニーテールを出来るほどだった髪の毛は切られ、ショートになっていた。変わらず耳には無数のピアス。  車が発進する。 「……可愛いですね」 「え、なにが」 「髪、切ったんですね」  こんな会話を前もしたな、と優夜はぼんやりと思う。 「寝落ちて、絵の具ついて修整不可になったから」 「作品につかなくて良かったですね」 「うん、そっちは無事」  鎌崎はそれを聞きながら、普通逆だろうと突っ込みたくなったが、ぐっと堪えた。朝臣にも芸術家の魂が植え込まれているのだろうか。 「ショートも似合ってます」 「それならほら、鎌崎も褒めろよ。珍しくドレス」 「止めなさいよ、こっちに話を振るの」 「鎌崎さんも似合ってます、ドレス」 「言わされてる感がすごいけど、ありがとう」  溜息が聞こえた。車窓から見える景色が変わっていく。 「大賞、おめでとうございます」 「ああ、どうも。あんたも合格と卒業おめでとう。友達も卒業できたか?」 「ありがとうございます。はい、高梨と白木とは同じ大学で、土暮も地元にいます」 「そうか、それは寂しくない」  いつものサロンの駐車場へ入り、車は止まる。三人は降りて店内へと入った。  メイクとヘアセットを先に終えた優夜は、待っていた朝臣の隣の椅子へ座った。横から朝臣の首元を覗く。 「制服のネクタイ?」 「これか喪服のしか持ってなくて。爺ちゃんに借りるの忘れてました」 「ん、これは卒業祝い」  バッグと共に持っていた小さな紙袋をぽいっと渡す。  中には四角い箱。朝臣はブランドのロゴが入っていることに気付き、恐る恐る取り上げる。  元旦に貰った御守の比で無い程の祝品だ。しかし返すことも出来ず、箱を開けた。  中に入っていたのは紺地に淡く小花柄が散りばめられているネクタイ。 「こ、これは……」 「ちなみに最初わたしは兎柄が良いって言ったのが却下されて、これに落ち着いた」 「兎よりは嬉しいんですけど、俺には」 「結べば万事解決だ。あ、鎌崎!」  そういう問題ではない。  ヘアセットを終えた鎌崎が大きく手を振る優夜に呼び寄せられた。ぽん、とネクタイを渡される。 「結んでやって」 「あら可愛い柄」 「可愛いですけど変に目立つ気しかしないです」 「大丈夫よ。あたしたち既に悪名高いし」 「それにもっと派手な人間ばっかりだから、地味だと逆に目立つ」  二人の大人に騙され、朝臣はネクタイを結ばれた。  不思議なもので店を出るときにはもう目が慣れて、違和感は無くなっていた。  会場に着いたのはやはり三十分程早かった。地下駐車場で三人は一息つく。 「わたし寝る」 「了解、時間になったら起こすわ」  数分もせずに優夜は寝息を立てる。器用にセットされた髪を乱さず、窓にもたれ眠っていた。  朝臣はその様子を見る。 「穴が空くわよ。そんなに見たら」 「もう会えなくなるので、目に焼き付けておこうと思って」 「会えるでしょ、海外ならまだしも、同じ都内にいるのに」  鎌崎がミラー越しにその姿を見る。それでも、朝臣の視線は優夜からブレなかった。  その首元には小花柄。ネクタイを贈る意味を双方知っているのだろうか。鎌崎は小さく肩を竦める。  この春から大学生になる朝臣へ尋ねる。 「朝臣くんが目指すのって、街の花屋さん? それともガーデニングとか園芸?」 「どちらかと言えば、園芸の方です。花も好きなんですけど、その土台を作るのも重要だな、と。前に美術館の庭園を見て思いました」 「火霜先生の展覧会の時ね」  あれから一年も経っていないのに、懐かしさがある。尤も、鎌崎は途中で仕事に抜けたのだが。  朝臣は頷く。 「支える側にいたいんです」  花を。園芸を。それに携わる人を。それを楽しむ人を。  初めて会った頃、無表情で何を考えているか分からない少年が、ここまで変わるとは。その成長に、鎌崎は涙しそうになる。
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