飲酒

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飲酒

二年前の春、森一臣会長率いるウッドワングループの新しいアイドルグループとして、私達「欅並木叙景」はデビューしたのだった。 グループのメンバーは全国からオーディションを勝ち抜いた20人。約半年のレッスンの後、私たちはいよいよメディアへ本格的に登場した。 舞台演出家で俳優でもある、宮武ソウタさんをプロジェクトの総責任者として始まった私達のグループは、社会性のある攻撃的で前向きな楽曲と、難易度の高い激しいダンスで話題となった。 宮武ソウタさんは、元々パンクバンドのボーカリストだったらしい。私はその頃の宮武さんを知らないけれど。 デビューシングルの売れ行きは順調だった。 無我夢中で過ごした時間。 しかし、デビューからひと月もたたないある日、一本の短い動画がネットを騒がせた。 それは、当時16歳のメンバーだった相田ハルヒが、多くの若い男たちに囲まれて缶チューハイを飲んでいる動画だった。しかもあろうことか、相田はカメラに向けて何度も中指を立て、舌を出していたのだ。 その愛くるしいリスのようなルックスと相反する相田の姿には、同じメンバーである私達も驚いた。 「欅並木叙景」の人気はその頃うなぎ上りだったが、これを機に、メディアは相田ハルヒの事ばかりを取り上げるようになった。人気のあるものの醜聞は人の目を惹きつける。相田ハルヒは、グループを辞めるしかなかった。 メンバーがグループを去ることを私たちは、卒業と言い慣わす。 しかし、デビューひと月でグループを去ることを卒業と言うのはいくらなんでも無理があるだろう。 ネットではこれを、卒業ではなく中退と言った。言い得ていると思った。 アイドルの他にやりたいことが見つかったため、と言う相田ハルヒの卒業理由を真に受けたものなどいなかった。 20人いた「欅並木叙景」のメンバーはこうして、19人になった。 でも、相田が辞めたそもそもの原因は私にあったのだ。 このことは相田ハルヒと私以外は誰も知らない。 レッスン漬けのデビュー前、福岡から出てきたばかりの相田に酒の味を覚えさせたのは、私だったのだ。 言い訳になるけれどそのつもりはなかった。 ストレスに耐えかねた私が、こっそり部屋で飲んでいたものに、寮で同室の相田ハルヒが興味を持ったのだった。 辞めていく相田に私は謝った。 しかし、それに何も答えることができない位、相田は憔悴しきっていた。 そして、それから私は、アルコールを受け付けなくなった。
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