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藤高あい子
タクシーは夜の国道を走っていた。
運転している松下とは、小中高と同じ学校に通っていた。
特に仲がいいと言う訳ではなかったが、ラインはつながっていた。都心でタクシーの運転手をしていることを知っていた私は、今日の夕方、彼に連絡したのだった。近くを流していた松下はすぐにやってきて私を拾ってくれた。
「私が「欅並木」にいるのは前から知ってた?」
「勿論。誰だっけな。誰かからラインが来てな」
「ファン?」
「俺?ああ。箱推しだよ」
箱推しというのは、グループ全体のファンだと言うことだ。
「私推しではない?」
「ははは」
「三列目だからね、私。誰?一番は」
「そりゃ、勿論、藤高あい子。いつも一生懸命。俺、見てると涙出る」
藤高あい子は、デビューから4曲続けてセンターを務めている。個性的なフロントメンバー8人の中でも、特に圧倒的な存在感のある愛知出身の18歳の子だった。
「みんな、あいちゃんがいいって言う」
「そりゃな。歌も踊りもうまくないのに、目が惹きつけられるんだよ。すげえよ、どうしてなんだ」
「私だってわかんないよ。個性だよ」
「成程なあ。ところでさ、大丈夫なのか?藤高」
「ああ。うん。わかんない。誰も知らない。運営はどこにいるか知ってるらしいけど」
「噂では相当、気持ちがまいってるって」
「無理もないよ」
ひと月前の朝、部屋で藤高あい子が目を覚ますと、ベッドの下に知らない若い男が倒れていたのだった。見ると、薬局の袋と錠剤の入っていたらしいケースが落ちている。処方箋を読むとそれは睡眠薬だった。
藤高はすぐに救急車と警察を呼び、自らは男の意識を覚まさせるべく、水をかけ、水を飲ませ、頬を叩き、喉に手を突っ込んで、飲み込んだものを吐き出させようとした。
結果、男は藤高のおかげで一命をとりとめたのだった。
一歩間違えれば恐ろしい事件でもあったものを美談に変えた藤高は、みんなに感嘆されたけれど、メディアはこれを機に、藤高自身のかつての自殺未遂事件をほじくり返してきた。彼女は、高校受験に失敗して練炭自殺を図ったことがあったのだった。
「関係ないじゃんな。それ。昔のことだよな。マスコミってな」
「うん。でも、それだけじゃないんだ。これは表に出てない」
「どうしたの?」
「あいちゃんさ、前はね、夜間高校通いながら引っ越し屋さんのバイトしてた。で、その時、すごいお世話になった先輩がいたんだって。悩み事は電話でその人に相談してた。友美さんって言ってたな。練炭自殺しようとしたときに助けてくれたのもその人」
「うん。それが?」
「仕事中、交通事故で亡くなった。一週間前」
「ああ」
「うん」
「そっか。それで」
「うん」
そして、5枚目のシングルは発売が延期され、東京ドーム公演を前に、私達「欅並木叙景」は、センターのいない18人が残ったのだった。
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