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暗さに、だんだん目が慣れてきた。立ち上がれば頭をぶつけそうなほどの、低い天井だった。柱が無数に並んでいるが、間仕切りのような壁はない。全体が、笹の葉を半分に切ったような形の大きな部屋だ。そこに、ンドゥールには数えきれないほどの男たちが寝かされている。二人一組に、鎖で手首をつながれている。
「そういえば、ありがとう」
「何がだ?」
「病気を治してくれて」
「俺はとりなしをしたに過ぎない。そういうことは神に言え」
「アラハムドゥリッラー」
「それな」
「おい、あんたら、アラビア語がわかるのか」
イブラヒムの隣の男が話しかけてきた。
「俺はボトウェ。マンディンカ族だ。俺の隣にるのはクワキ、というらしいが言葉があまり通じない」
「俺はイブラヒム」
「ンドゥールだ」
「俺たちが寝ているこの部屋の向こうに女子供が詰め込まれている。それは知ってるか」
「いや」
「そこに、俺の妹が捕まっている」
「まあ、生きてて良かったんじゃないか? 神のおほしめしだ」
「俺は妹を殺しに行かねばならん」
「え! なんで?」
「船員の一人に、妹の名誉が汚された。もちろんそいつも殺すが、妹も殺さないわけにはいかん」
「ねえ、名誉って何?」
「きむすめのことだ」
「ここにいて、おまえは何故それを知ることができた?」
「二人とも奴隷にされることがわかったとき、離ればなれにされるまえに、連絡の取り方をきめておいた。そっちの、波の音が聞こえてこない四角い壁、あれが甲板を真ん中で仕切っているんだが、そのむこうが女子供の部屋だ。そこまで行って、壁に耳をあてれば、お互いの声を聞くことができる」
「なるほど。だが、それができたとして、おまえもすぐにキリスト教徒どもに捕まって死ぬことになるぞ」
「皆殺しにすればいい」
「だから仲間を集めている、そういう話か?」
「そうだ」
「賛成できんな」
「どうしてだ」
「俺の個人的な信条だ。女殺しはしない。手を貸すこともしない。もし仮にそいつが異教徒だったとしてもな」
「もちろん、妹を処分するのは親族である俺だ。それを誰かに手伝ってもらおうとは思わない」
「俺は俺の信条を誰かに押し付けるつもりはない。誰かの信条や掟を押し付けられたくないようにな。だから、この話は終わりだ。すまんが、他をあたってくれ」
「ンドゥール、あんたもか」
「んー、ちょっと考えてみるよ」
「そうか。頼むぞ」
ボトウェはクワキを引きずるようにして去っていった。他の誰かを、仲間に引き入れたいのだろう。
「もし、今外に出られたとして、見える範囲に陸地はあるのかな」
その背中が闇に溶けるのを見送りながら、イブラヒムは静かに呟いた。
「え、どういうこと?」
「自分で考えろ。考えればわかるはずだ。それがわかれば、奴に加担すべきでない理由もわかる」
「女殺しが信条にあわないんじゃなかったの?」
「それは嘘ではないが、あまり俺を善人だと思うな」
イブラヒムの言うことはよくわからなかった。
しばらく考えてみた。やっぱりわからない、と言おうとしてイブラヒムを振り返って、彼がいつのまにか眠っていることに気づいた。
外では、強い風が吹いていた。
船の揺れは、しだいに大きくなっていくようだった。
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