4.

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「噂をすればなんとやらね」 当然のように音無の隣に座った鳳に、ママは暖かいおしぼりを手渡す。 「どうせまた悪口だろ」 鳳が音無の顔を見ながら言うと、ママが代わりに答えた。 「おーちゃんが来ないから寂しいって言ってたわよぉ」 「そんなこと言ってない!」 音無が慌てて否定すると、ママは怖い怖い、と笑いながらその場を去った。 鳳は拓也にオーダーすると目を指で押さえる。 「残業が続いて来れなくて」 「いや別に報告はいらないから」 「あと、釣りに行って」 「は?」 鳳はあまり趣味は持っていないが唯一、船釣りに行くのが好きなのだと言う。船釣りは朝が早いため、前夜は出歩かないらしい。意外な趣味に音無がポカン、と口を開けて顔を見るものだから、鳳は顔を背けた。 「俺が船釣りしちゃいけないのか」 「いやめちゃ意外だったから…」 オーダーを受けたギムレットを拓也が鳳の前に置く。そのグラスを傾ける鳳。 このインテリでスマートで冷静な鳳が、船釣りを?と音無はその姿を想像して吹き出してしまう。 「何だよ」 「いやまあ、気にするな」 それでもクックック、と笑う音無。隣で不貞腐れながら鳳はギムレットを味わっていた。 「ンンッ、も、お前っ!しつこ…ああっ」 音無の足を肩にかけ、鳳は挿れたまま、胸の突起と前をいじる。もう二度、音無はイッたのに抜かないまま、腰を動かされ思わず文句を言う。いつもより愛撫もしつこい。 その理由は何となく分かっていた。きっとバーで音無がずっと笑っていたから、その仕返しなのだろう。 もう何度もこうして二人は体を重ねてきた。まだ出会って数ヶ月というのに、鳳はすっかり音無のいいところを把握していた。 元々、一人の人間にそんなに固執する方ではない鳳。ちゃんと付き合った相手もいたが、一夜限りの相手の方が多い。そんな中で音無は久しぶりに長く続いているセフレだ。私生活に干渉しない、バーだけの間柄。連絡先すら交換していない。 それが二人にとって気楽で心地よい。 「お前のいいとこ、ここだよな」 腰を深くまで進めて抉るようについていけば、音無はさらに声を上げた。 「そこ、ああっ!気持ちいいっ…!あー!だめ、だめぇぇっ!」 そう音無が最後の声をあげると、三度目の頂点に達して体を痙攣させていた。 肩で息をしながら、音無は鳳を睨む。鳳もさすがにバテたのか果てたそれを抜いて、ベッドに仰向けになっていた。 ようやく落ち着いてきて、鳳は椅子に座り電子タバコを吸いながらスマホを見ている。音無はまだベッドに入ったまま。 「なあ今なら釣り、何が釣れる?」 音無の問いに鳳はムッとしたような顔を見せた。 「また笑ってるのかよ」 「いやいや、単純な疑問」 「…アマダイとか、カマスとか。興味あるのか?」 「昔、親父が何回か船釣りに連れて行ってくれたんだよ。それを思い出してさ」 「へぇ。今は?」 「行ってない。親父、高校生のときに亡くなってるから」 「…すまない」 「気にすんなよ。それよりさ、タイってすごいな!素人でも釣れるんだな」 目を輝かす音無。まるで少年のような表情。いままで何度も飲んで何度も体を重ねたがまだまだ知らない顔があるものだなと、鳳は思った。 シャワーを浴び、帰り支度を始める。時間は午前二時。どんなに深夜になっても宿泊はしない。とっくに電車はないのでタクシーを使う。泊まらない理由は特にないけど、それは二人のプライドなのかもしれない。 鳳も身を整え、二人で部屋を出ようとした時。 「音無」 突然名前を呼ばれ、驚く。名前など呼ばれたことがないからだ。 「なに?」 「船釣り、一緒に行くか?」 それから二週間の土曜日。音無の姿は近所の駅にあった。インドア派の音無は精一杯の『船釣りモード』な服装にキャップ。 まだ夜があけていない時間の待ち合わせ。ふわああ、と大あくびをしていたら、一台の車が音無の前に止まった。黒のアールブイ車は国内で最高級のグレード。それを見た音無は鳳らしい車だなと苦笑いした。 インテリでハイセンス。そういえば身につけている時計もアンティークの高級時計だった、と思い出す。チラッと見て、それがいいものだと気づくほど音無もアンティーク時計には目がないのだ。 停車して運転席の窓が開いて、鳳が顔を出す。いつものオールバックではなく自然に髪を下ろしていて、パーカーというラフな格好。いつもと全く違うその姿に音無は驚いて思わず『鳳?』と確認してしまった。 「寝ぼけてるのかよ、早く乗れ」 その声と言葉は紛れもなく鳳で、音無は慌てて助手席のドアを開けた。
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