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揺れる電車の中。長いサービス残業と、上司から言われた嫌味。それらの疲れを全てあずけるように、両手で吊革に掴まる。
電車を降りて歩いていると、電話が鳴った。
「おいタマゴ、仕事は終わったか? 猿みたいにミスばっかりしてるから、残業する羽目になるんだぞ」
数人の部下を従えて定時上りした上司から、ほろ酔い気分で電話。嫌味を言いながら僕の仕事の進捗を確認する。もう深夜、今から確認したってなにも変わらない。まして、飲みに行くために定時上りした面々の仕事を僕は押し付けられたのに、お礼ではなく小言では堪らない。
ペコペコと謝りながら、くだらない小言を聞いているうちにスマホのバッテリーが切れてしまった。家に帰れば充電コードを挿して折り返し電話。そう考えると、家に帰るのが嫌になる。
誰もいないひっそりとした公園を通りかかり、ベンチに座ってため息を吐き出す。夜空を見上げると、都会の星はまばら。その中に、ひときわ明るい星を見つける。天体なんて知らない僕にはなんの星か分からない。
冷たい風が吹いた。春になったとはいえ、まだ朝夕は肌寒い。いつまでもこんなところでぼーっとしている訳にもいかない。背もたれにあずけた身体をゆっくりと起こす。すると、正面のベンチに人がいることに気付いた。
いつからいたのだろう。それとも先にいたのだろうか。上部が白く、裾のほうが黒いゆったりとしたパーカー。そして、長い髪の女性。高校生くらいだろうか。深夜の公園に女の子が一人でいることに違和感を覚える。
この辺りは、ガラの悪い若者が集団で闊歩していることもある。女性一人でいるべきではない。しかし声をかけては、あらぬ誤解を生じるだろうか。そんなことを考えていたら、女性と目が合った。
「んだよおっさん、見てんじゃねーよ」
そんなことを言われるのではないかと、慌てて視線を逸らす。しかし、女性はにっこりと笑顔になる。ベンチから立ち上がると、ゆっくり近づいてきた。
夜、僕に近づいてくる可愛らしい女性。そんな喜ぶべき光景でも、何らかの罠ではないかと警戒心を拭えずに見ていると、女性は突然その場に崩れた。
「大丈夫ですか?」
咄嗟に駆け寄ると、女性のお腹がグーっと鳴った。
近くのコンビニで何か買ってくるから待っているようにと言ったが、女性はついてきた。小柄な身体で必死に僕の腕にしがみつき、力ない足取り。
女性は、チルドコーナーのパック牛乳とバナナボートを手に取る。そしてレジで、店員は僕をまっすぐ見て言う。
「532円です」
僕は一瞬女性を見るが、すぐに会計を済ませる。
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