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びっくりして目をまるくする私に、王子は、とても優しく微笑みかけている。
「人がみんなおしゃべりだったら、うるさくてかなわないよ」
「あははっ! そりゃそうだけどぉ~」
ちょ、ちょっと待って店長、いま、ものすごく大事なこと、王子が言ってる気がする、だからちょっと黙ってて!
「あ、ちゅう子ちゃん、こちら、天音さん。開店したての頃からのお得意様なの」
いっ……いまこのタイミングでご紹介なさるかああっ?! 名前がわかって嬉しいですけれども!
「職場の近くに、パン屋さんができて嬉しいよ」
「しばらく見えなかったのは、お仕事が忙しかったから?」
「うん、なかなか、家にも帰れなくてね」
「えーっ、ちょっと大丈夫なの? ちゃんと食事とってる? 少し痩せたんじゃない?」
オカンかよ。
「食べてるし、仕事はひと段落ついたから」
家を出て経済的に自立した息子かよ。
ていうか。
引き際がわからない。
「お邪魔しました」といって持ち場へ戻るべきなのか、あるいは店長のとなりにちゃっかり座って話に加わるべきか。……まあ、座るという選択肢はハナからないと思うので、
ここはひとつ、ぺこりとお辞儀をして立ち去るのが無難だろう。
さあ、お辞儀だ、お辞儀するぞ。
いっせーの──
「ちゅう子ちゃん」
「ヒィッ!」
タイミングよく天音さんが名を呼んだものだから、思いきり息を吸い込んでしまった。
ぎょろりと不気味に開いた目をつくろうこともできずに天音さんを見ると、相変わらずにこにこと微笑んでいる。
「いつもありがとう」
はっ、えっ、なにが?……なんて、それさえも聞けず、慌てて勢いよくお辞儀をして、きびきびと「右向け右」をして、きびきびと二人から離れた。
なんなのよ、"いつもありがとう"って。
あ、わかった、アレか。母の日の「おかあさん、いつもありがとう」みたいなヤツ。
……いや、私お母さんじゃねえし。
レジのうしろの定位置に戻って、つい、二人をチラ見してしまった。
楽しそうに笑う天音さんの姿に、なぜか重たい溜め息がこぼれた。
***
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