清く、正しく、逞しく

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***  お客さんを前に、私は石のように固まっていた。  19時ちかく、夕方の混雑が解消されてきた時間帯に、その男性は現れた。レジが空いてきたので、伽羅は奥のカフェで溜まりまくった食器を片付けていた。  ……つまり、私がこのお客の接客を接客で接客しなければならない。  ムリ。できない。顔を見れない。  だって── 「おう」  ドスの利いた低い声が、私の鼓膜を揺らす。  ……そう、だってこの人は。 「おう、姉ちゃん」  きっとヤクザ(笑) ……いや、(笑)ってなんだよ私、しっかりしろよ。 「ちぃっと、お聞きしたいんじゃがのう」  こっ、コテコテのヤクザ言葉(笑) ……いやだから、(笑)じゃないってば私。 「なんちゅうたか……なんやオシャレな名前のパン買うてこい言われてんけどなあ。どれもこれも、オシャレな名前ばっかりやないかい」  ポケットに両手を突っ込んだまま、細い体躯を折ってショーケースを覗き込む。その動きに合わせて、派手な柄のシャツがふわりと揺れた。 「のう」 「はっ、はいっ!」  急に顔を上げたものだから、驚いて声が裏返ってしまった。 「なんちゅうパンやったかのう?」  ……頼んだ人に聞いてくれ。 「なんかこう、外はサクサクっとしてて、中はしっとりしよるヤツ言うとったんやが」  ……メロンパン? 「あーっ、なんやったかのう!」  知らんがな。出直して聞いてこいよ。……ふふふふ、心の中でならなんでも言える、心の中でなら。 「しゃあない。なんかテキトーに2、3個選んでくれ。あ、オシャレな名前のヤツな」 「えっ……」  一番困るパターンのヤツ、キター。 「あ、あの……」 「なんだってええねん。アイツかて、ようわかってへんかもしれんじゃろ」  それはないと思う。
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