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「私はこの振興会の理事長をしている川上謙三です。どうぞよろしく」
おっと、受付のおじさまと思っていたらまさかの理事長とは。
名刺を差し出されて慌てて受け取った。
「申し訳ありません、いま求職中なものですから名刺がなくて……」
「いいですよ、そのための採用面接なんですから。どうぞ座って」
川上さんが人の良さそうな笑顔を見せる。
「えーっと、真鍋さんの履歴書は事前に拝見しました」
川上さんはネルシャツの胸ポケットから老眼鏡を取り出して掛け、テーブルに置いてあるファイルを開いた。
「新卒でメーカーさんの経理担当のOLをしていて、その後転職して先月まで温泉宿の女中さんをしていたということですが、これはどういった経緯で?」
当然聞かれるだろうと思って事前に答えは用意してある。
「OL時代に体調を崩して退職しました。温泉はもともとその療養として通っていたんですが、そこのお湯をとても気に入ってしまいまして住み込みで働くことにしたんです」
川上さんが「なるほど」と言いながら鷹揚に頷く。
体はもう大丈夫なのかと聞かれ、温泉のおかげで今はすっかり元気だと答えた。
「うちは募集にもあった通りで、正規雇用ではないし契約は1年更新です。正直、時給も安いのにどうしてまたうちの振興会の嘱託職員に応募したの?」
「正直にお答えしますと、地元に戻って来たのは、元気になったのならそろそろ帰ってきなさいと母にしつこく言われたためなんです」
この人なら腹を割って正直に話してもいいだろうと踏んだ。
「いずれ正規雇用で再就職するつもりですので、こちらでの仕事はそのためのリハビリだと考えております。もちろん任されたお仕事はきちんとこなしていくつもりですが、契約の更新をこちらからお断りすることはあるかもしれません」
川上さんは目尻の皴を深め、優しく笑って頷いてくれた。
「なるほど、再スタートの足掛かりというわけね。いいでしょう」
そこからは、ここまでの通勤経路はとか、パソコン操作は大丈夫かとか、イベントの時は土日の出勤も可能かという確認の質問をいくつかされてその場で採用が決定したのだった。
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