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第二相談室
「夏目ちゃん張り切ってるねぇ。」
大家さんの明るい一言で疲れ切っていた肩がさっと晴れた。
「夏目相談事務所!!ぜひそうだんしてきてくださ〜〜〜い!!」
夏目はチラシを通行人に配っている。
チラシには「夏目相談事務所」とプリントされた消しゴム付きだ。
「…お姉ちゃん…チラシ頂戴…。」
小さな女の子が夏目の下から見上げている。二つ結びの愛らしい女の子だ。
この子も消しゴム目当てか。
夏目はそう思いながら笑顔でチラシを渡した。
「はい。困っていることがあったら相談しにきて…」
夏目が言葉を言い終える前に、女の子はひったくるようにチラシを取り走った。チラシをひったくられたところからかすかに血が出ている。
「…いったぁ…。」
今日チラシを自主的に貰ってくれた人は、サングラスを掛けた怪しい人とこの女の子以外いなかった。。
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「夏目ちゃん、どんまい。」
大家さんは、疲れた夏目の頬に冷たい缶コーヒーを当てた。
夏目はびっくりしたように後ろを向いたが「あ、ありがとうございます!」
ととりあえずお礼は言う。
「それにしても、客が来ないねぇ…。」
はい、と言うと夏目は缶コーヒーを開けた。
夏目と大家さんが座っているのは相変わらずほこりっぽいソファーだ。
そして透けたテーブルの上には大量のチラシ。
大家さんは、見るからに高そうなネックレスを付けている。
あとから聞いたがこのネックレスは亡くなった夫が始めてくれたプレゼントらしい。
「…どうしてお客が来ないんでしょうか…。」
大家さんは夏目のつぶやきにかすかに気づいた気配だったが何も行ってこなかった。
夏目は缶コーヒーを煽る。
「…お姉ちゃん…。相談していい…?」
どこかで聞いたことある可愛らしい声がした。
下を見るとさっきの二つ結びの女の子が一人。大家さんはなにか感づくと「さあじゃあわたしゃぁ帰るとするかね」と席を立った。
「…あ、…どうぞ…!」
夏目は、ソファーと向かいになっているクッション性の椅子を女の子に勧めた。女の子は遠慮なく座る。
「相談したいことって何かな?」
夏目は缶コーヒーをテーブルに置くと女の子と目線を合わせた。
女の子はすこしおびえている…のか。
「あのね…。」
女の子は夏目と目をそらす。そして次の瞬間一気にまくし立てた。
「わたしの名前は木野俊子っていうんだけど友達からきのこって言われてるの…。」
そして小さな声で続けた。
「……きのこって言われるのが…やなの…。」
夏目は、笑顔で答えた。
「なるほどね。たしかにそれは嫌ね。」
木野は夏目と目を合わせた。
夏目はこの瞬間を見逃さず、続けた。
「どうしてそんな事になっちゃったの?」
木野は、目をそらした。そして、椅子から降りる。
「…わかんない…。」
夏目は慌てて立つと、木野の方に歩む。だが木野は、ドアまで走って逃げた。
「え…ちょっ!!」
小さな子供特有の逃げ足だ。夏目は追いつけなかった。
夏目は急いで一階まで降りると、大家さんの方に出向く。
「大家さん!!どうしよう!お客さん逃げちゃった…。」
大家さんは優しそうな顔で、夏目の方を見た。そして
「逃げちゃったものは仕方がないんじゃない?」
と続ける。夏目はトボトボ二階に戻った。
夏目が二階に戻ったことを見計らうと大家さんは、「もう出てきていいよ」と後ろにこっそりと言った。
後ろには木野が一人。
「ごめんなさいね。あの子新人なのよ。だからきっとちいさなお客さんになれてないのね。許してあげてね。」
木野は小さくうなずくと、読みづらい字で書いてある紙を大家さんに渡した。そこには電話番号。
「コレはあなた個人の携帯?」
木野はバッグから子供携帯を取り出した。
「そう…。じゃあありがたくもらっておくわね。」
木野は笑顔になると駆け足で大家さん家から遠ざかっていった。
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コンコン。
「先生!!需要のありそうな悩み持ってきましたよぉ!!」
夏目は相変わらず古臭い川端と書かれたドアを叩く。すると小さくドアが空いた。
「…先生が入れだってさ…。」
芥川は不満そうだ。夏目はパッと表情を明るくすると、勢いよくドアの向こう入った。
「…需要のありそうな悩みとは?」
川端は回る椅子に座って、夏目の方を見る。
「えっと…子供のあだ名なんですが…。」
夏目の切り出しから川端はペンを夏目に指した。
「…需要がない。帰れ。」
今度は芥川がパッと表情を明るくする番だ。
「ほら!先生が帰れって言ってるから帰ってよ。」
夏目は芥川に押されるがままにドアの向こうだ。
「じゃあ、私のカウンセリングの悩みも聞いてください!!」
夏目は芥川に押されたまま叫ぶ。
「その子にどうしてそんな事になっちゃったのって聞いたら逃げられたんですよ!!!」
その時、川端の眉がピクリと動いた。
「逃げられた?」
芥川は突然後ろから発せられた言葉に驚いているようだ。
「逃げられた…だと!?」
夏目はまた何か言われるのかと、目をつぶった。
「それはいい。傑作だ。芥川。新作ができそうだ。」
「先生!傑作ですか。早く書いてください!!」
夏目はゆっくりと目を開ける。芥川はいつの間にか押すのをやめ、川端の後ろに回っていた。
「何が傑作なんですか…!」
夏目は聞こえないくらいの小さな声で呟いたが川端はそうとう聴力が優れているらしい。
「…傑作じゃないか。カウンセリングの基本、理由を聞かないができていない新人カウンセラーなんて。」
理由を聞かない?夏目は目を見開いた。
「カウンセラーがしないといけないことは話を聞くことだ。ふしつような質問は禁止だ。」
川端は、椅子から立ち上がると夏目の方へ向かってくる。
そして、夏目とドアの間に肘をつけた。
これって…壁ドンじゃないの!?!?夏目の心が不安定ななか、川端は涼しい顔で続ける。
「カウンセリングの基本ができていないやつにカウンセラーを名乗る資格はない。」
夏目は川端の顔を見ると、川端は本気で怒っているようだ。顔が近いことで表情も暗く見えた。
さっきまでの心の不安定さはどこかへ飛んでいった。
「…そうなんですね…。理由を聞いちゃだめなんだ…。」
夏目は、後ろにあったドアを開けると元気よく叫んだ。
「ありがとうございます!おかげで良いことが聞けました!!」
ドアが空いたことで、川端の肘は不安定になり、少しよろけた。
芥川は、川端の方を見ると新作はまだですか?と聞いた。
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2日後。大家さんが夏目のところに来てもう一度缶コーヒーをおいていってくれた。そして大家さんは相変わらず優しそうな顔で、下へ降りていった。
と、その時下から小さな声が聞こえた。
「…この間は…逃げてごめんなさい…。」
木野だ。夏目は、木野の方を見て何かを言おうとしたがそれを木野が遮った。
「でもね!どうしてそんな事になっちゃったのって聞いてもらってスッキリした!その理由ね、私があだ名を呼ばれてもヘラヘラしてたからなの!」
女の子はだからね、と続ける。前まではこんなに饒舌だっただろうか。
「その友だちに聞いたの!!なんでそんなあだ名つけるのって。そしたらね、親しくなりたかったんだって。」
だからねありがとう。木野はそう言い残すと前と同じように駆けていった。
木野は、走りながら子供携帯のメールを開いた。そして大家さんにメールを打つ。
「お姉さんに会いに行ったら喜んでました。お姉さんが事務所にいるのを教えてくれてありがとうございます」
木野は、メールを送り終えるといつの間にか止まっていた足をもう一度動かして走り出した。そして、事務所前で待っていた友達に手をふる。
「俊子ちゃん!遊ぼ!」
木野は笑顔でそれに答えた。
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部屋に一人残された夏目は、木野のまくし立てたセリフを頭の中でもう一度再生した。
「喜んでもらえたのかな…。」
そのつぶやきと同時に缶コーヒーの結露が透けたテーブルに付くと、夏目は嬉しそうに笑った。
テーブルの上には絆創膏がおいてある。夏目は自分でつけた絆創膏を外すと、きっとさっきまでここに座っていた人物がおいていったであろう絆創膏をつけた。
そしてまた嬉しげに笑った。
続く
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