黒白に赫

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 この黒白の部屋に引きこもってから、どれくらい経っただろう。  といっても、黒白はわたしの趣味だから、居心地はいい。  朝起きてもカーテンなんか開けない。LEDのペンダントライトがわたしの太陽になる。だから、朝に起きるんじゃなくて、起きた時間が朝なのだ。  つまらない間取りの二階建ての二階奥が、わたしの黒白の根城になる。  今朝もその8畳で目が覚めて、太陽を登らせて、それから備蓄している菓子パンと保冷庫からミルクティーを出して、ノーパソで、昨夜の推しのライブの見逃し配信をおかずに、もちゃもちゃ、ずずずぅ。  ごちそうさまでした。いつものことだけど、菓子パンとミルクティーが先に無くなるから、後はおかずを眺め続けることになる。  あ、きた。  最近は毎朝のことだ。  あー、ムラムラしてきた。  やばい、ダメだ、我慢できない。  というより、したくないんだろうな、わたし。  こんなだらけきった生活を続けていると、自制心とかなんとか自分を律して規則正しく美しくなんてできない。  それに私は、美しくなくていい。だからこそ、自制心を易々と手放せるのだ。  箪笥の下着が入った引き出しを開けて、その奥に隠してあるバイブレーターに手を伸ばす。  推しの流しっ放しのライブ映像を見ながら、今朝も、わたしは私自身の身も心も気持ちよくさせてあげるのだ。恥部にそれを押し当てていると、徐々に込み上げてくるイキの声を、わたしは必死に押し殺さなきゃならないけど、でも、それが意外と気持ちを更に高ぶらせてくれるの。不思議よね。  あぁ、もう、ダメ。  イ――、ッ!  はあぁ。この後の、この虚脱感がまだ心地いい。  バイブレーター、後で洗わなきゃ。今家には誰もいないけど、でも後ででいいや。とりあえず、ティッシュで拭いてポリ袋に入れておこう。  終わって、またベッドへと潜り込むけど、寝ることはできない。ああ、しかも会話したい。誰かと話したり、その、いちゃいちゃしたい。こんなこと、わたしが思うなんて違う気がするけど。  引きこもりのわたしには、ピザの置き配注文より難易度が高い。  でも、話し、したいな……。  ――ドンドンッ、ドンドンッ。  うわっ!?びっくりした……。急に部屋のドアがノックされるなんて。でも水曜日のこの時間、親は二人とも仕事だし、妹はちゃんと学校行っただろうし。  たれ……?って、わたし、声が出ない。擦れ声になってる。 「ひーちゃん、俺」  その声、なんか聞き覚えがあるんだけど……? 「たく」  え?……えぇ!?たく、君!?た、たく君って、確か―― 「小学校の時に近所に住んでた、たくだよ。でも4年生の頃に引っ越しちゃって、」  それきり、連絡もこっちに遊びにも来なかった、あのたく君? 「でも聞いてよ、俺、戻って来たの。この街に。それで、昔よく遊んでた、ひーちゃんに、真っ先に会いに来たの」  え、でも、鍵は……? 「ひーちゃんのお母さんに、昨日こっちに戻ってきて挨拶に行った時に、その時に一本貸してもらったんだ」  なんたる甘々のセキュリティ観念なんだ、うちの母親は。 「ねぇ、開けてくれないかな?ここ」  開けられるわけがない!こんなボサボサで歯磨きもしてない!ハッ!?しかも推しの動画点けっぱなしだった!外まで聞こえてるよね……多分? 「む、り」  やっと声が出た。我ながら嫌な返答だ。 「じゃあ、ごめん。勝手に開けるね」  ――カチャ。 「え?」 「ひーちゃん、久しぶり。この部屋の鍵も、貸してもらった」  ベッドで蹲るわたしをドアの位置から笑顔で声を掛けてきたその男子高校生は、たく君で間違いなかった。人の面影ってこんなにはっきり感じるもんなんだ。  あ――  わたしは床に転がるバイブレーターを物凄い勢いで拾い上げて抱きかかえると、再びベッドに潜り込んだ。 「……見た?」 「見たよ。でも、別におかしくないじゃんね」  わたしは、たった一言、そのたった一言でこの状況全てを受け入れてしまった。ちょろいなわたし。  でもきっと、ほとんどは彼との思い出のおかげなんだと思う。後残りは、今実感した、彼の優しさ。 「そっち行っていい?」 「……うん」  たく君がわたしのベッドサイドに凭れるように腰掛けた。今のわたしをあまり見ないように気遣ってくれてるのかな?  ああ、まただ。ついさっきしたばっかだからかな。また、また―― 「え?ひーちゃん?」  ゴトッ、とバイブレーターがベッドから落ちた。けど、もうそれも気になんない。  他にも自分の臭いだったり、寝起きの顔や髪型だったり、口内の状態だったりを全部なげうって、わたしは、欲望に心を捧げてしまったんだ。  「どうしたの?」  後ろから抱き着いたわたしに、たく君は戸惑いを含んだ口調で、でも優しくそんな気遣いをくれる。ああ、もうどうしようもないな、これ。 「少し話したい」 「うん」 「それで、」 「うん」 「いっしょに……、したい」 「……いいよ」 「なんで?」  ああ、わたしって面倒な女だ。自分から誘ったくせに、理由なんか聞いて。 「さっき、落ちてるの見たから、かな?それに、」 「それに?」 「ひーちゃんとの、思い出があるから、かも」  また私の内股部分が熱くなる。もう、なんなんだよ、たく君はさ。 「俺さ、例えば、ひーちゃんとのあの思い出たちが無かったら、って仮定して考えた時、それでもひーちゃんを求めるか?って自分に問いかけたらさ、多分だけど、求めないと思うんだ」 「なら、思い出のおかげ?ってこと?」 「そう、なるね。ヘンかもしれないけど、俺、この人がいい、って思うのは、その人と過ごした時間や思い出があって、そして、その思い出が自分の中で一番好きで大事な思い出の時なんだ、って、さっきひーちゃん見て思った。やっぱ、なんかヘンだよな?」 「ヘン、だと思う。どっちかというと女っぽい考え方みたい」  そして、わたしと同じ考え方みたい。 「ははっ、まあ、そうかも」  その正直な照れ笑いに、さっきから聞こえていた推しの声も全く聞こえなくなっていた。  わたしは、もっと強く、強く、たく君を抱きしめた。  たく君も、それに応えるかのように、首だけを振り向かせて、そして、お互いに唇を重ねた。重ねる度に、どんどん深くなっていく。  そのまま、たく君が起き上がって、わたしを優しくベッドに横たわらせてくれた。唇を離し、お互いに火照った眼を見合わせる。 「ひーちゃん、甘い味がするけど、何食べたの?」 「……菓子パン、とミルクティー」 「かわいいラインナップだね、って、なんかこの状態での会話って、恥ずかしいね」 「……うん」  私たちは、その赤くなった顔を互い違いに重ねて抱きあった。  黒白の室内で、(さか)んな若い熱の混じり合いが繰り返された。
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