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あっためてください
最後の言葉は、独り言のように小さかった。しかし、律は聞き逃さなかった。
翌朝、橋田は帰っていった。律は書斎で、ノートパソコンを開いた。
橋田はもう少し札幌にいるらしい。互いの仕事を終えたら、夕食をともにしようと約束している。
文章をタイプしながら、律は思わず唇を撫でた。
(昨日は、激しかった……)
思い出すと顔が熱い。
(僕、橋田さんのことが……)
だが、それを言葉にしてしまうはまだ怖い。
作家と編集者。その壁を壊していいのだろうか。でも自分の気持ちに嘘をつくことはできない。
(やっぱり、好きだ)
執筆を終えると、律は携帯を手に取った。橋田にメールを送った。
電車で、橋田が指定した場所に向かった。
「すみません、お待たせして」
待ち合わせ場所に先に来ていた橋田に声をかける。
「いいえ、全然待ってませんよ」
橋田が腕時計を見て言う。
駅直結で通路とつながっているデパートの入り口。
札幌で待ち合わせするなら、いちばんわかりやすい場所だ。
まだ外は明るいが、季節は秋。空気が冷たくなっていた。冷気が、頻発に開閉のある扉から入り込んでくる。
「今日は冷えますね。律先生」
「はい……だから、あっためてください」
「え」
「いつもひとりでいたから、寒さには慣れていました」
律は橋田の手を取った。
「橋田さんの言う通りですね。僕は変わってしまいました」
律の手は震えていた。緊張していると、橋田は悟っているだろう。
でも、律は橋田の手を離さなかった。
「人肌が恋しい、という言葉の意味がようやくわかりました。僕はまだ一度しかしていないのに……」
「誘うのが上手いですね。さすが、恋愛小説家だ。経験豊富だと噂されているだけのことはある」
「茶化さないでください」
「すみません。では、行くとしましょうか」
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