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「玉雪君。まだ何か、気になる事が?」
「え?」
どうやら先生に隠し事はできないようで、私は強い眼差しに屈するように口を開きました。
「…先生がお仕事のことを教えてくださらなかったのは、『玉雪君だからこそ』とおっしゃったでしょう。
それはつまり、私めは先生にとって赤の他人よりも信用に足らぬ人間ということかしらんと思いまして・・・。」
先生はなぜだかぽかんと口を開けます。
「ああ、そんな事。」
「そんな事ですって?」
少なからず憤慨する私に、先生は苦笑いなさいます。
「マアマア、落ち着きたまえ、つまりそれはだね・・・。」
あっけらかんと語り出したくせに、急に先生は黙り込みました。
「先生?」
「ううん・・・なんと言ったら良いか。つまりだ、『僕は物書きだ』なんて言ったら、君は僕が世間に曝している物を読みたがるだろう。」
「勿論ですとも。」
食い気味に身を乗り出した私を見て、先生は頭を掻きました。
「ううむ。そうなるとどうだろう。僕が如何様に物を思って感じたかというようなことが、曲がりなりとも君に判じてしまうわけだ。」
「はあ・・・。」
私の何も分かっていない生返事にも、先生は難しい顔で頷きました。
「つまり。その中には僕の、とりわけ君には知られたくないような諸々が紛れ込んでいるかもしれないわけであり。」
「はああ。」
ここで先生は意を決した様に、大きな深呼吸をなさいます。
「つまり毎日のように顔を合わせ!!
あまつさえ同じ屋敷に暮らし!!
あまつさえ僕にとっての、お…」
「お?」
「…」
「先生?」
茹でダコのように赤いお顔でなにやら悶絶する先生は、急に何かを思い出したようでした。
「お、大家だッ!!」
「大家・・・?」
先生は高らかに言い放ち、すっくと立ち上がります。あまりの勢いに、ソファが音を立てました。「きゃッ」
私の悲鳴もさておいて、先生は続けます。
「そう、大家だ。大家だったじゃないか、君は。
そうだ、大家である井形玉雪嬢すなわち君。他でもない大家の君だけにはね、僕の書いた得体の知れぬ与太話を見せつけるわけにはいかないのだよッ!」
肩で息をする先生のご様子に、私の胸はざわめきたちました。
「先生が・・・そのように思われていたなんて。」
私の目から、涙が落ちました。
「た、玉雪君?」
私は、ソファに腰を下ろした先生の手を取ります。
「私、とても嬉しい。私めが先生に感じていたお気持ちを、先生も持ち合わせて下さっていたんですものね。」
先生は、はッと目を見開きました。
「玉雪君。僕も…実は僕はこう見えて、ずっと前から「先生が!!
先生がこの私めを、
『家族』のように感じて下さっていただなんて・・・。」
今度は私がガタンとソファから立ち上がりました。
「これからもどうか、私玉雪と単なるメエドもとい大家としてだけでなく…『歳の離れた妹』のように慣れ親しんでいただけますかッ。」
「い、妹・・・ですって。」
先生の肩からずり、と着物が落ち下がりましたが、もう私は止まりませんでした。
「はいッ。ずっと私は心の中で先生を、この世で一人のお兄様とお慕いしておりました。」
「ああ・・・『兄』・・・。」「お厭ですのね・・・」
間髪入れず落ち込み始めた私に、先生は手を振り否定しました。
「ああいやいや、違う。が違わない。違うと言いたいが、違っているわけでもない。」
「先程から難しい言葉やなぞかけばかりおっしゃるのね。私めに学の無いからといって余りに酷いですわ。」
「いや決してそんなつもりはない。でも僕にとって玉雪君は、妹なんかよりももっと、大切なのだよ。」
「妹よりももっと、たいせつ。」
家族よりもっと大切?そんな物がこの世にあるのかしらん。
先生は何か言おうと私を見つめましたが、ふっと困ったように笑いました。
「・・・外へ出ないか?夕食を馳走しよう。」
時計を見れば、お夕飯の時間はとうに過ぎておりました。
「そんな、ご馳走だなんて・・・いけません。」
「こういうときは、年上の顔を立てるものだよ。さあ、支度だ。」
「嬉しい…ありがとうございます。」
先生はウフフと笑い、立ち上がってきびすを返しました。
いつもよりどこか大人びた先生のお背中を見ていると、唐突にある事が思い出されます。
「そういえば、先程何かおっしゃろうとしませんでしたか。『ずっと前から』なんとかかんとか。」
「な!!!!」
電光石火、金剛力士像さながらのすさまじい形相で振り向いた先生は、振り向きざまにすさまじく足をぶつけます。
相当な痛みをものともせず先生は、頓狂な声を張り上げました。
「どうしてそんな箇所だけ覚えているのだね、君はッ!」
「もッ申し訳ございません…!」
「え?」
びっくりした拍子に、私の目から涙が零れます。
先生は私に近寄ると、優しく肩をさすってくれました。
「すまない。何も、泣く事はないよ玉雪君。」
「では先生、先程は何を・・・」
「うう。僕は、ずっと前から・・・」
先生は眉間をギュウと摘み、至極難しい顔をなさっています。
見る間に先生は、茹でタコになりました。
「う・・・…何でも人から教わろうとせず、たまには自分で考えなさいッ!」
先生はパアンと私の肩を叩くと、ばたばたお部屋へ去って仕舞ったのでした。
私、そんなに質問攻めだったかしらん。
呆然と立ち尽くす私の脳裏には、さらに『ご馳走は?』の疑問も浮かぶのでした。
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