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メエドのお仕事
日付は変わって、次の朝。
めでたくも先生の『大屋兼メエド』に任を得た私は、早速先生の世話に精を出しておりました。
「玉雪君は本当に家事がよく出来るね。すっかり感心してしまったよ。」
「…お褒め頂いて光栄ですわ。」
満足そうに笑みを浮かべる先生とは裏腹に、私はやや残念な気持ちになっていました。というのも、先生が思ったほどお仕事を与えて下さらないからです。
「先生、他にお仕事ございませんの。」
「ん?ないね。食事も掃除も洗濯も、すっかり済ませて貰ったし・・・」
先生はにっこりと、先刻私がお淹れしたお茶を手に取ります。・・・あッお仕事の予感!!
「お茶はまだおありになって??」
身を乗り出した私に、先生は思いきり苦笑します。
「君には、この激しく立ちのぼる湯気が見えない?」
「エエ、この距離からでも確かに見えてはおりますのよ・・・。
それはもう、モウモウと。」
「そうだね・・・持ってきてくれてから、まだ5分と経ってはいないのだから。
マア僕の事は良いから、どこか好きな所へでも行っていたまえ。用があれば声をかけるから。」
「はぁい・・・。」
しょげ返る私に微笑みつつ、先生は湯呑みに口をつけました。しかし即座に『ンンッ』と咳払いし、そっと机に戻します。
「あ、ごめんなさい・・・熱すぎましたのね。」
先生のお顔はどうにか平静を装っていますが、異様に赤いその色は、茶の熱さに大変驚かれた事を物語っておりました。
3分程前の何も知らない愚かな私は、お茶を所望した先生のために沸騰直前まで温めた熱湯にて鉄瓶いっぱいのお茶をこしらえて、給仕が出来る喜びにうち震えながら先生の元へ馳せ参じたのでありましたが・・・その前に先生の好みの温度を理解しておく必要があったようです。
お父様がそうだったので、紳士は熱々を好まれると思い込んでいたわ・・・
しかし気を落とした私に、先生は爽やかに笑いかけるのです。
「気にせずとも良いよ!!この位熱い方がね、目が醒めて却って良いのだ。ああ、言ってる間に冷めてきたし。」
先生が満面の笑みで、猛烈に湯気立つ湯飲みに口をつけた瞬間私は『いけない』と思いましたが、もう間に合いませんでした。
私が両手で口を押さえると同時に、先生の断末魔と熱湯が飛び散る音が部屋中に響き渡ります。
「アアアあづいいいッ!!」
「先生!!」
私が煎れたお茶もとい、緑の危険な熱湯を果敢に一気飲みしようとした先生は、それを思うさまお膝にぶちまけいすから転げ落ちました。
『悶絶以外為す術なし』の先生は、そのまま床上でごろごろと陸上のタコ顔負けの動きを始めます。
私はすぐさま台所へ直行し、冷たい水と氷を盥に満たしました。さらに部屋へ戻るやいなや、先生のお膝元をガバリと開きます。
「失礼致します」
先生は真っ赤なお顔で飛び起きます。
「おい君、何してる??」
私は手ぬぐいを盥にひたしては全力の謝罪を込めて絞り、全力の謝罪を込めた手ぬぐいで先生の腿やら何やらひたひた擦り始めます。
「申し訳ございませんッ!申し訳ございませんッ!」
打って変わって先生は、私を押しのけようと必死でございました。
「ちょちょ、こらこらもういいッ!」
「でもこれが私のお仕事ですのよッ!」
お膝元に縋りつく私とそれを押しのける先生との押し問答はしばしの間続きましたが、ついに先生は根負けして床に倒れ込みました。
先生のお膝には、無残にも真っ赤なみみず腫れが出来上がっておりました。
「す、すみませんでした・・・。」
先生は生気のない顔で、私から目をそらすように寝返りました。
「君は・・・何とも思わないのか・・・・・・?」
呆れたような声を聞いた瞬間、私はビクリと震えました。あの優しい先生が、ひどく怒っていらっしゃる。私の声は、自分でも驚くほど震えておりました。
「ほ、本当に申し訳ないと思っておりますわ…あ…後でちゃんとしたお薬を持ってきます…それでも、あ、痕にならなければいいのだけれど・・・
…本当に、悪気はありませんのよ。だからどうか、お許し下さいましね。」
私は思わずそっと、先生の痛々しいみみず腫れを撫でました。すると先生は『ひゃわあ』と頓狂な声を上げ、勢いよく私の手をはねのけるのです。
「ど・・・何処かに行ってなさいッ。」
胸がギュウウと締め付けられ、気づいた時には嗚咽が漏れ出ておりました。
「私、もっと気を付けますッ。だから、だからどうか…どうか見捨てないで・・・。」
私は、先生の濡れた身体に縋りつきました。
先生が静かに手をあげ、打たれると思った私は反射的に身を固くしました。しかし、その手はそっと私の頭を撫でたのです。
「そんな事で泣いては駄目だ。」
「ごめんなさッ・・・」
「いや、美人が台無しだからだよ。」
「え・・・・・」
「泣いている君も美しいが、僕は笑う君の美しさの方が、好みなのだ。
僕付きのメエドとして、よく覚えておくのだよ。」
「うう。先生・・・。」
「さあ笑って御覧。」
泣きながら私が微笑むと、先生も愉しそうに微笑み返してくれたのでした。
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