発明館の恋騒動

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私の胸は、先生の微笑みでポウとあたたかくなりました。 幼いころより幾度も向けられてきたこの微笑みを、私は密かに、何よりも大切に思ってまいりました。 この微笑みをいただくたびに私の胸は、先生の優しさに守られているような気持ちになるのです。 胸がぽかぽか温まっていく一方で、先生は一際大きな溜息をつきました。 「そもそも、どうしてきみが詫びる必要があるのだね。茶を勝手にぶちまけたのは、僕なのだから。」 先生はお召し物の袖に腕を入れ、じっと私の言葉を待っています。 「いいえ、元を質せば私のお茶が熱すぎたので、私のせいなのです…それに、先生は私の雇用主様なのですし・・・」 『雇用主』という言葉を聞いた途端、先生の眉はぎゅっとしわを作ります。 何か悪い事を言ったかしらん・・・私は息をのみつつ、言葉を続けました。 「だから私は、先生が不愉快にならないようなるべく気を働かせなくてはならなかったのです。私は先生のメエドですからね・・・」 「待ちなさい。」 先生はピシリと手を上げ、真直ぐな眼で私を射抜きました。 「君が分かってくれるまで何度でも言わせてもらうが。」 「は、はあ。」 「僕は、君にそんなつまらない事をさせるつもりで雇っているのではないのだよ。」 先生の声は落ち着いており、どうやら怒っている訳ではない様でした。私はおずおず頷きます。 「僕の機嫌を伺うような馬鹿らしい事で君に苦労をかけるなら、メエドとしては一旦解雇し代わりに『僕から金を受け取る仕事』に就いてもらおうか。」 「そ、それは一体何ですの・・・。」 お金を貰ってお給金をいただくですって・・・? しかし、先生は至極真面目なお顔で続けました。 「僕が毎日少しずつ、君に金を渡す。それを月の最後まで繰り返して、ちゃんと全部受け取る事ができたら、その報酬として月給を払うという訳さ。」 「そ、それはお仕事と呼べません・・・。」   この方は、私をからかっているのでしょうか。これはどう考えても、犯罪の匂いが漂う怪しい行為でしかありません。 私はどうにか理屈を見つけようと足掻きます。 「分かった。先生は、お金がお嫌いなのでしょう。 ね、だからそうして無理矢理にお金を、ね、そうでしょう。」 すると先生は、凛とした形の好い眉根を吊り上げました。 「金。金か・・・。」 「ハイ、お金です。」 「金なんぞ、嫌でもないが好きでもない。」 「はああ?」 先生はなぜか、何の罪もないお金庫に侮蔑の眼差しを据えられました。 「金なぞ僕には如何でも良いような代物だが、君が僕よりそれを必要としていそうだからあげても良い。ただそれだけだ。」 「た、確かにお金は必要です・・・でもそんな、だからといってそんな風に人様のお金ばかり、無闇に頂く訳にはいきません。」 何やら得体の知れない犯罪に巻き込まれるやもと、私の脇には冷たい汗が走りましたが、先生はどこ吹く風という表情です。 「まあ、そう言うだろうと思ったさ。 どうやら君から何がしかの献身を取り上げる訳にはいかないようだから・・・引き続き僕は君を『メエドとして』雇用させてもらうが、その代わり。」 「その代わり。」 「その代わり、必ず『僕の求める範囲内』だけでやりなさい。 そもそも僕がだ、『君は僕の不愉快にならないよう成るべく気を働かせなくてはならないのです。』なんて言ったかね。え?僕は断じて言ってないよ、どうなんだ??」 先生は知ってか知らずか『君は僕の不愉快にならないよう』以下、私の口真似をなさったような気がします。 少しだけ馬鹿にされたような気持ちになりましたが、私はどうにか溜飲を下げました。 「・・・分かりました。つまり、無用な気働きをすることはありませんと、そう言う事でしょう。」 「さすが、君には理解力があるね。君はよく『学が有りませんのよ』なんぞと言ってるが、僕に言わせれば学なんて、頭の良し悪しとは全く関係ないのだよ。 学の有る阿呆は幾らでもいるし、その逆もまた然り。どれだけ学を得ようが阿呆は阿呆さ・・・。」 先生は一人、自身の『名言』に浸っていますが、私は先生が悪意のある口真似ばかりなさるようで、どうにも気持ちが落ち着かないのです。
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