悪魔が棲む家

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離婚を期にシングルマザーとなった母は、独り立ちした長男を残し、高校生の娘と五歳の息子を連れて郊外へ引っ越すことになった。 そんな時、遠い親戚が所有する借家を期限付きで貸してもらえることになり、契約書と家の写真がすぐ送られてきた。 それは閑静な住宅街の隅にひっそりと佇む木造二階建ての家。 外観は古めかしいが、部屋の中はだいぶ改装されていて古さを感じない。それに3人で暮らすには十分な広さと部屋数があるようだった。 庭も広く、写真には金木犀や桜の木、ざくろの木と太い切株が写っていた。 そんな家を格安で貸してもらえることに、母も子供達も喜んでいた。 引越しが決まった数日前。 母は次男の息子を連れて、内見と掃除を兼ねて家にやってきた。 持ち主である親戚のおじいさんは現れず、鍵はポストの中に入れられていた。 少し建付けの悪い玄関のドア。 無理矢理にこじ開けるとドアは騒がしく開いた。 二人が家に入ろうとした時、母は誰かの視線を感じて振り向いた。 そこには、買い物袋を提げた年配の女性が家の前の通りで母のことをじっと見つめて立っていた。 母は会釈をしたが、年配の女性は無表情のまま立ち去っていった。 感じが悪い人。 心の中でそう思いながら、母と息子は家の中に入った。 じっとりとした生ぬるい空気が肌に触れて不快な気持ちになったが、見れば廊下はきちんと掃除がされていて壁も床も綺麗だった。 丁寧にスリッパまで三つ用意されていた。 おじいさんの話では、以前住んでいた夫婦の物が家中にいくつも残っていて、それは自由に使っていいとのことだった。 生活感のある家。 下駄箱の上には古い黒電話とオシャレなガラスの灰皿、そして小さな額に入った風景写真が置かれ、廊下の壁にも風景画や装飾された丸い鏡が掛けられていた。 だが、鏡の方は割れていてその役目を果たしていない。 廊下にはいくつかのドアがあり、それぞれトイレ、浴室、居間に繋がっていた。 そして、二階へ続く階段もあった。 息子は階段を見上げながら、二階へ行きたいと母に懇願した。 だが、母は危ないからと承諾はしなかった。表向きには納得した息子だが、内心二階が気になって仕方がなかった。 何故なら二階から自分を呼ぶ[声]が聞こえていたから。 浴室もトイレも申し分ない広さ。 居間や台所にもまだ使える家具がそのまま残されていた。 気になったのは居間の片隅に置かれた神棚。 三社の木が真っ黒に変色し壊れていた。 母が触れようとした時、背後に何か黒い大きな影が通り過ぎた。 気配を感じた母が振り返ると、興奮した息子が走り回っていた。 居間の戸を開けると庭が見えた。 息子は探検、探検と上機嫌で縁側の廊下を走っていった。 「いたずらしないでよ」 母がそう声を上げると、息子の駆け回る足音と返事だけが聞こえてきた。 母は居間に戻った。 居間にも骨董品がいくつも飾られていて、壁にはまた鏡がかけられていた。 廊下のとは違い、前に立つと自分がしっかりと写った。 ただ、その鏡を見ていると何故か落ち着かない気持ちになる母だった。 その時、静かな家の中で母のスマホの着信音が鳴り響いた。 それは取引先からの電話だった。 しばらく話し込んだ後、母は「そろそろお姉ちゃん帰ってくるから帰ろう」 と息子の名前を呼びながら姿を探した。 しかし、息子の返事が返ってこない。聞こえていた足音もない。 疲れて寝てしまったのかと思った母は、一階の部屋を探し回ったがいなかった。 ふと思い浮かんだのは、息子が行きたがっていた二階。 注意はしたが、好奇心や冒険心に勝るものは無い。 母は廊下にある階段で二階に向かった。 半分ほど上った時、背後から自分以外の足音が聞こえた気がした。 だな、振り返ってみたが誰もいなかった。 二階の廊下に上がると、一階に比べて床はところどころ埃が積もり、壁や天井の一部が黒ずんでいた。 その壁にも装飾された鏡がかけられていた。 鏡は一階の他の部屋にも飾られていて、その多さに少し異様さを感じる母だった。 廊下にある四つのドアのうち、一つが半開きになっていた。 母が中を覗くと、そこには天井を見上げながら座り込んでいる息子がいた。 「いた。階段は危ないから二階へ上がっちゃダメって言ったでしょ」 その部屋はかつて子供部屋であったようで、二段ベットや勉強机やおもちゃ箱がそのまま残っていた。 そして、ほんのり甘い香りが漂っていた。 「早くこっちにおいで」 息子は母に話しかけられても、じっと天井を見上げたまま。 「天井がどうかした?」 息子はようやく母の方を見て、手に握っていたものを広げて見せた。 小さなその手には、さくらんぼのような赤い実が乗っていた。 「どうしたの、それ」 「落ちてきた」 「どこから?」 息子は天井を指差した。 よく見ると、天井に小さな穴が開いているようだが、そんな実が天井から落ちてくるはずがないと母は信じなかった。 息子は握っていた実を鼻に近づけてにおいを嗅いだ。 それはとても甘いにおいがすると言い、息子はその実を口に入れようとした。 それを見た母は、とっさに息子の手を叩いた。 すると、実は息子の手から離れて勉強机の下へ転がった。 息子は手を叩かれたショックと痛みで泣き出してしまった。 母は謝りながら、泣きじゃくる息子を抱きしめた。 そして部屋を出て行こうとした時、ふと実が転がっていった勉強机の下に目を向けた。 すると、そこには実の種らしきものがいくつか転がっていた。 そんな不思議で奇妙な家に住むことに些かの躊躇いはあったが、一家に選択の余地はなかった。 生活が安定するまでの住まい。 その選択が、後に間違いであったことを一家は思い知るのだった。 なぜなら、その家には悪魔が住み着いていたのだから。
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