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第3話 シチューの香りと
無事に薬を届け、家に着いた頃には空は赤く染まりかけていた。
「ただいま帰りました」
玄関先で靴をぬいで居間に入るとメアリーが台所で夕食の準備をしていた。
オリヴァーの姿を確認した義母はにっこりと「おかえり」と言って、鍋の火を消した。
「リアムから麦の葉をもらいまいた」
そういってカバンから茶葉の入った巾着袋を手渡す。
「おじいさんから頂いたみたいです、今日は会えませんでしたが今度伺ってお礼を言って来ます」
「そうね、次は私も一緒にいくわ。お礼にトウモロコシも持って行きましょう」
巾着の中身を嬉しそうに見る義母の眼差しは本当に幸せそうだった。
生活が貧しい中で、村の中では茶葉はなかなか手を出すことができない贅沢品だった。ラジェル村で地主として知られているリアムの一家は、こうして薬を届けに行った際によく食物を譲ってくれる。
「マラニーさんはお元気だったかしら」
マラニーさんはリアムのお母さんだ。昔から体が弱く病弱だった。
一年前から体調を大きく崩したため、メアリーの調合した薬を服用してもらっているのだ。おかげで最近は少しずつ回復の兆しが見え始め、再び歩くことができるようになったと話していた。
「はい、少しずつ動きやすくなってきたみたいです。また一緒にお茶するのを楽しみにしていますと言っていました」
それを聞いたメアリーは少しだけ目を潤ませていたが、瞬きすると最後には安心したような顔で「彼女も前を向いているわ。私ももっと良い薬を作れるようにまだまだ頑張らきゃね」と笑っていた。
(叔母さん、僕は叔母さんが誰よりもマラニ―さんを想っていること知ってるよ)
オリヴァーは再び台所に戻りシチューの煮込みを再開している姿をみながら心の内で語りかけた。
使い込まれた木ベラを掴む手の甲には無数の赤い切り傷がある。
薬の調合は加熱をする場合もあるため、けがが絶えない作業でもあることを今まで彼女の傍にいたオリヴァーは知っていた。
新しい薬を作る時に、これまで使ったことのない毒性のある薬草を使用する頻度も少なくない。毒性のある薬草はもちろんそのまま体内に含んでしまうと命の危険性があるため、その性質を打ち消してくれる素材と組み合わせることが重要なのだと、薬を作る際に叔母はいつも言っていた。
作業はもちろん命の危険と隣り合わせだけれども、自分の出した成果が病気で苦しんでいる人々に希望を与えることができるのならば、努力は惜しまないのだと彼女はいつの日かそう笑顔で言っていたのだ。
彼女のその力強い姿勢は今も一つも失われることなく変わらない。
オリヴァーはそんな義母の存在が誇らしく、また自分も彼女の生き方から勇気をもらっていた。
(僕も叔母さんのような誰かを守れる人になりたい)
そんな想いは幼い頃から彼の奥深くに根付いていた。
「叔母さん、僕も手伝います」
そう声をかけて台所に入ると「ありがとう、じゃあお皿を取ってくれるかしら」
「はい」
後ろにある棚から深さのある丸い木皿を二枚取り出す。
義母がそれに熱々のシチューを入れるのを見つめた。
「今日はオリヴァーのすきな野花野菜のシチューよ」
野花は裏庭でよく採れる植物だ。この村にはよく咲く雑草の類であるが、月に一度だけ出掛ける市場で買う小麦と共にじっくり煮込むとほのかな甘みが出てとても美味しい調味料なのだ。
「本当だ、ありがとうございますメアリー叔母さん」
好物の料理であることを知り、思わず頬が緩む。
そんな息子の表情を横目でみたメアリーは微笑んだ。
「おかわりもあるからたくさん食べなさいね」
机に二人で向かいあって座ると、白いとろみがかった液体を口に含む。
温かさと同時にほんのりと野花特有の甘みが口いっぱいに広がり、体の内側から全身がぽかぽかする。
「美味しい...」
一口食べてまた一口口に含む。
義母の作る料理はどれも愛情が込められていてとても美味しいがその中でもこのシチューは幸せの味がする。
体が温まったところで二人分の食器を台所に持って行き水につける。
結局おかわりはせずに、鍋に蓋をして明日の朝食にとって置くことにした。
「私は少しやることがあるからオリヴァー、先に体洗ってきなさい」
床に座ったままメアリーが言う。
「はい、わかりました」
オリヴァーは返事をすると、体を洗うため家の一番奥にある個室に向かった。
身に纏っていた服を脱ぎ、綺麗に畳んで近くの棚に置く。最後に顔に掛かっている眼帯を外し衣服の上に置いた。
わずかに引きずるような音が鳴る引き戸を引いて、人が一人入れるほどの大きさの個室に入る。
椅子はないので立ったまま大きな桶の中の水を尺ですくい、頭から足の指先までぬるい水を全身にくまなくかける。
日焼けや汚れを知らない白い肌に水が滴る。
オリヴァーは外で畑仕事をするが、どんなに日差しが強くても肌が焼けることはなかった。生まれながらの体質だと自分では思っているが、同じく外によく出るリアムのこんがりきれいに焼けた肌を見ると、似た環境で動いているのに自分だけ日焼けをしないことに少なからず違和感がある。
どこか自分自身に周りの人とは異なる異質なものがあるのではないか、オリヴァーはほんのすこし己に恐怖を覚えた。
(それに....)
水でぬれた手で無防備になった右目のあたりに手を触れる。
なんといっても、この存在が彼の他の人とは違うことを証明している。
義母と自分しか知らない秘密。唯一の親友であるリアムにもいまだ明かせることができていない、自分もその原因をしらない秘密。
『これだけは絶対に私以外には見られないようにしなさい』
義母にこの家に連れて来られた時に彼女が真剣に話していたことをふいに思い出す。
その時はまだ幼く、どうして自分の顔を隠す必要があるのか疑問を抱いていたが、成長するにつれ義母のその言葉の意味が理解できた。
村に義母と初めて薬を届けに行った家々の先で、自分の容姿がいかに常人離れしていたのかなんとなくその時に気が付いたからだ。
その時も今日と同じように顔を隠せるフードの付いたマントを羽織って出かけていた。義母は家を出て帰るまで終始自分の手を繋いで離さなかった。
家を出る前に、義母は手を繋いだまま自分の前にしゃがみ、まだ幼く小さい自分と目線を合わせる。
『ごめんね。あなたの年頃ではもっと自由に駆け回りたいわよね。でも、
いつか自由に走れる時が来るわ。だから今だけは私から離れないで』
そう話す彼女の声はわずかに小さく震えていて、いつも優しい眼差しをむけるブラウンの瞳はその時だけは申し訳なさと不安の色が宿っていたのを鮮明に覚えている。
村の中でも人が多い集落に着くと、義母の不安の正体に気が付いた。
フードのわずかな隙間から覗き見える行き交う人々の茶色や黒の髪の毛と瞳、日に当たり程よく焼けたおうしょくの肌。
どこを見渡しても自分のような金髪緑眼、白い肌を持つ者はいなかった。
それに加えて周囲から今まで感じたことがない視線が自分とメアリーに注がれていることがマント越しでも感じ取ることができた。
その体験から一つだけ分かったことがある。
それは、この村では自分はできるだけ息を潜めて生活することが周囲にとっても自分と義母にとっても最善策であるということ。
義母はオリヴァーはがそう考えることをあらかじめ知っていたうえで彼を村に連れていったのだ。オリヴァーが自分で自分自身の身を守れるように、いつかは知らなけらばならない外の世界をしっかりと彼自身で確かめさせるために。
義母が苦しみながらもその決断をしていたことを、幼いながらも敏かった彼は理解した。
それからというもの、家にいる以外は顔だけは周囲から見られないようにしてきた。
最初は常に自分を隠すことに抵抗を少なからず感じていたが、徐々にそれが生活する中で当たり前になっていき、今では完全に慣れていた。
桶の縁に置いてある薬草を混ぜて作った石鹸を手に取り、濡れた髪の毛と体にどれを泡立たせながらつけていく。
オリヴァーはしばらく無心に体を洗った後、再び尺を片手に取り全身を水で流した。
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