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猫にまたたび、彼にはなに
静まり返った教室に、授業を進める自分の声が響く。
「23ページ開けろー。この公式のだな」
ペラリっと教科書をめくる音。シャーペンで書き込みをする音。
熱心に聞いている生徒たちばかりではないけれど、そのなかでも目立つ、ひとりの生徒。
(今日も明後日の方向か……)
頬杖をついて窓の外に顔を向けているが、その瞳には何も映ってはいないのだろう。
◇
「姉が、自死……?」
年度初めの申し送りのときに。
1年生のときの担任の話に、言葉を失った。
「学校には家族構成の変更しか届け出てないけど、三者面談の日程調整でね」
――申し訳ありません。それどころじゃないんです。体調も思わしくないんです――
――書置きもなく娘がいなくなったんです。そっとしておいてください――
「都合がつくなら、いつでもいいと言っても、これの繰り返し。”書置きもなく”で、そういうことかなって」
「頬を腫らしてたっていうのは?」
「……”親子ゲンカで親父に殴られた”しか言わないの」
「このときだけ?」
「一応、目に見える範囲では」
「体育なんかで着替えるじゃないですか」
「ジャージを着ちゃうとわからないでしょ?それに、いつの間にか着替え終えてるらしいのよ」
「怪しいですね」
「でも、確証はない」
「……ですね」
高校になると、家庭訪問も授業参観も懇談会もない。
三者面談だって、保護者の都合によっては、本人のみで済ます場合もある。
「歯がゆいね。受援力が育ち切ってないのに、隠すスキルばかり上がっちゃうから」
申し送り書類に目を落とす元担任と、同じタイミングでため息が出た。
◇
2年に上がってからは課題提出を始め、授業態度が芳しくない。
学年初めの「懇親研修」と銘打った、テーマパークへの遠足も欠席。
それとなく見ていれば、弁当を持ってきている様子もない。
(もう、待てないな)
「これ、今日の課題な。次回の授業で提出ー」
「げ」
「またかよ」
教室中の非難を浴びながら、一人ひとりの机に配っていく。
「渡は未提出がかさんでるぞ。放課後、ちょっと俺んとこまで来い」
指でトントンと机を叩けば、窓を向いていた顔が戻ってきた。
「待ってるからな」
不本意そうな顔にニッと笑いかけて。
そして、視線で念押しをしたあとで、くるりと背中を向けた。
何度声をかけても「今度出します」。
困ってることがあるのかと聞いても「べつに」。
そのたびに距離を取って、逃げるように踵を返すノラ猫のようなアイツは、来てくれるだろうか。
猫にはカツブシやマタタビや、液状おやつなどもあるが、高校二年生男子に刺さるものは何だろう。
(打つ手が限られているのなら、作るしかないよな)
取りあえず来てくれと祈りながら、教室をあとにした。
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