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◆ ◆ ◆
ノア・クラークは微笑んだ。
「また随分とやつれた顔をしているね、エマ」
「上がり直前に滑り込んできたのさ。路地裏でホームレスが一人」
「ロッドかい?」
「それがさ、ショック死だったんだよ。盗んだチップを読み込んで、脳が耐えられなかったみたいなんだ。耳から脳漿飛び出しててさあ。臭うし汚えし、処理する身にもなれってんだ」
「ああ、それでご機嫌斜めなわけだ」
カフェの店員が訝しげに注文をとりに来る。オーダーメイドのスーツに身を包み、ブロンドの髪を綺麗に整えたノアと、鼠色の作業着に赤毛を引っ詰めただけのエマが一緒にお茶をする仲に見えないのは仕方がない。ここは会員制の高級カフェであるからして尚更だ。彼女は新人のようだからエマのことを知らないのだろう。
「お嬢さん、彼女は間違いなく私の友人なのでご安心を。冷たいレモンティーを頂けるかな」
「し、失礼しました!すぐにお持ちいたします」
女性店員は顔を赤らめ、そそくさとオーダーを通しに戻っていった。エマが気に食わないという顔でこちらを見る。
「お嬢さん、だって! 紳士ぶっちゃって! あたしにはそんな優しい顔しないのに。アンタの友人なんて願い下げだよ」
「それは困る。ただでさえ友と呼べる人間は少ないから、エマとはこれからも仲良くしたいんだけどね。あと、僕はいつだって紳士だよ」
そう言って紅茶を嗜む彼は、悔しいが美しいと言わざるを得ない。長いまつげから覗く愁いを帯びたアッシュグレーの瞳は、左目だけ陽の光を浴びると緑がかって見えた。垂れた前髪をそっと白い指で掬い取り、耳にかける。彼の仕草一つ一つから下品さを感じさせない妖艶な雰囲気が漂っていた。これでは店員が訝しがっても仕方がない。エマがふんっと鼻を鳴らす。
「心にもないこと言っちゃってさ。そういうところが嫌いなんだよ。さっさと済ませようぜ、午後にも仕事入れてんだ」
そう言ってエマはリュックの中からファイルを取り出し、運ばれたレモンティーをゴクゴクと飲んだ。ファイルには男女の写真が1枚ずつと書類が挟まっていた。ノアは一通り書類に目を通し、少しの思考を巡らしてから頷いた。
「うん、いけるね。紹介してくれ」
「あいよ。本当、上に立つ方々ってのは馬鹿なことに金を使うよなあ。少しくらい分けて欲しいよ」
「分け合ったことがないのさ。パンも快楽も、全部独り占めしてきた奴らなんだから」
楽しそうに言い放った彼の目は、微塵も笑っていなかった。受け取ったファイルを自分の鞄へ仕舞い、彼は席を立った。それだけの動作なのに、どうしようもなく優雅である。お茶会中のご婦人達が彼の後ろ姿を横目で追っている。エマは眉間にしわを寄せた。
「そんなに殺気立った紳士がいるかってんだ」
聞こえないように呟いて、氷が溶けて薄まってしまったレモンティーをぐいっと一気に飲み干した。
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