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––––一週間後––––
五人きりになった部屋で、立花はハンカチで涙を拭っていた。
ボディーガード役のレオがジトっとした目でエマを見ていた。無理もない、激高したヘレンが殴りかかってくるシナリオだったのに、そこにナイフが装備されていたのだから。
エマは必死にその視線に気づかないふりを続けている。
ノアが立花の向かいの席に座り、名刺をテーブルに差し出した。立花が不思議そうにそれに目を通す。
「夢……屋? 貴方は新聞記者の方では?」
「あれは嘘です。彼女が仰っていたことは事実なんです。私は思い通りの夢を作り出すことができます」
「なっ、そんな馬鹿な! ……でも、それじゃあ、彼女は本当に夢の話をしていただけなんですか? それなら尚更罪はないはずだ。今からでもそう証言してください! そもそも、彼女を救う手助けをしてほしいというから今夜ここに来たのに、一体これはどういうことですか!?」
「こんな時にも他人の心配ですか。大変素晴らしいことですが、貴方のその優しさが一連の事件を引き起こしたのだと、いい加減気づいたらどうでしょう。その場凌ぎの優しさよりも必要なものもあるのではないでしょうか」
立花はまだ涙が乾かない目でノアを真っ直ぐに見据えた。
「結果論ですね。他人に厳しくすることで招かれた不幸も同じだけあるはずです。話を逸らさないでください。パターソンさんに私を襲うように、貴方が仕向けたんじゃないんですか?」
少しの沈黙の後、ノアが口を開く。
「そうです。彼女に貴方を襲うように、けしかけました」
「何てことを––––」
「ですが全て、彼女のためです」
「そんな出鱈目を信じろと!?」
「では貴方ならどうしますか? ゾーイが犯した罪を伝えたところで、彼女は貴方と警察の繋がりを疑っています。きっとこの事件の真相も、貴方がでっちあげたものだと聞く耳を持たないでしょう。……彼女は杏さんが自殺する夢を作ってくれとまで言ってきたんですよ」
杏の名前が出されたことで、立花の表情が曇った。
「罪のない貴方に悪夢は見せられません。けれど彼女を納得させる手立てもない。彼女に本当に必要なものは何だったと思いますか」
「私への復讐心でしょう。法が私を裁けなくとも、彼女には私を憎む権利がある。その矛先が私だけに向く限り、私はそれに真摯に応えるつもりです」
ノアはふんと鼻で笑った。
立花はむっとして睨むが、ノアの表情がどこか哀しさを覗かせていたものだから、何故だか責める気にはなれなかった。
「本当にあなたのその自己犠牲には感服いたしますが、私はそれが正解とは思いません。立花さん、貴方は誰かに復讐したいと思ったことはありますか」
「いいえ。嫌ったりすることはあっても、復讐なんて……」
「そうだと思いました。私はね、彼女に本当に必要なものは復讐の達成などではなく、貴方が復讐に値しないと気づかせることだと思うのです」
「復讐に、値しない……?」
ノアは静かに微笑み頷いた。
「復讐とは兎角割に合わないものです。誰かを憎み、それを糧に生き続けることは想像以上のエネルギーを使います。こんなことは止めにしたいと思っても、抱き続けた負の感情を今更捨てることなんて出来ず、笑い方も思い出せない。私はね、貴方にも彼女にも、笑って生きてほしいのです」
立花は不思議そうな顔をした。初対面の相手に、そんなことを至極真面目に言われたのは初めてなのだろう。
「でも、それなら……」
目の前で哀しそうに微笑むこの男は、誰が救うというのだろうか。そう、目が訴えていた。
ノアはそれに気づかないふりをした。
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