種蒔き

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「笑って生きてほしいと言う割には、随分とやり方が野蛮でしたね」 「ハッハ! それは申し訳ありません。あのナイフはアクシデントだったんです。本当は身一つで暴れてもらうはずだったんですが。でも心配は無用です、彼女の経歴に傷がつくようなことはありませんので。そういう手筈になっています」  事実、今回出動した警備隊は全てエリックが指揮する第二団である。被害者の立花が訴えない限り、彼女は罪に問われないだろう。  後は供述書から夢屋やノアの文言を隊長権限で削除するだけだ。  立花の無実が分かった時点で、ヘレンとは連絡を絶つべきだというレオの意見もあった。  しかし既に夢屋の話をしてしまった手前、ヘレンにはそれが全て嘘だったと信じさせる必要があった。それには大勢の前で、自分は騙されたのだと思わせる方が確実だという結論になった。  それが今回のお遊戯会の開催理由だ。 「こんなことで彼女が救われたとは思えませんが……」 「ご謙遜を。貴方は確かに彼女に種を蒔いた、真実と事実を見分ける種を。それで十分なんですよ。それに水をやり、陽を当て、育むか否かは彼女が決めることです。貴方はその選択肢を与えることができた。他でもない貴方にしか出来ないことです」  どれだけ他人から事件の真相を聞いたところで意味はない。ただ、この立花という男と対峙さえ出来れば、気づくチャンスは訪れると思った。  今まで自分は見たいものだけを見ていたのかもしれないと。  そして、どうやらそれは上手くいったらしい。エリックの胸元の無線機に通信が入る。 「こちらロバーツ、何かあったか。……様子は落ち着いているんだな? いや、報告ありがとう」  エリックが立花に向かい直って言った。 「ヘレン・パターソンが貴方と話がしたいらしい。以前屋敷に乗り込んできた時は、庭に杏さんがいらしたので追い返してしまったと仰ってましたね。我々警備隊の取調室なら、誰かに危害を加える心配はありません。本人も落ち着いている様子です。貴方の口から、ゾーイさんと何があったのか教えてほしいと言っています。もちろん、断って頂いても構いません。なにせ殺されかけたんですから。どうなさいますか?」  立花は即答だった。 「お会いします。彼女がそう望むなら。けれど真相を伝えるというのは、どうなんでしょうか。自分が知らない愛娘の一面…… 知らなければ良かったと思うかもしれない。聞かなければ、彼女はずっと被害者でいられる。今まで責めてきた相手が一転、迷惑をかけてしまった相手になってしまう。彼女は、それで幸せなんでしょうか」  ノアが口を開く。 「愛しているからこそ、知りたいと思うのでしょう。ゾーイはもう戻ってこない。彼女の新しい一面はこの先一生見られない。それならば、汚いと思える一面でも、ヘレンに取っては何よりも知る価値のあるものなんです」    そう語るノアを立花は静かに見つめた。そして小さくため息をついた。 「確かに、ゾーイさんの罪を隠すと言うのは、本当の意味での優しさとは言えなかったのかもしれない…… 良いでしょう、今回は私が折れます。パターソンさんが罪に問われないという話、それだけは裏切らないでくださいね」 「勿論です」 「それで、こんな大芝居を打って、貴方達は一体何がしたかったんですか? 純粋に彼女を救いたいようには到底見えませんが」 「仰る通りです。彼女を救うのは副次的なものに過ぎません。前置きが随分長くなりましたが、私は貴方とお話しするために今回の場を設けました」 「私と、話?」  ノアは前かがみになり立花を見上げるように顔を上げた。  垂れた前髪から覗く、緑がかったアッシュグレーの左目がきらりと光る。まるで宝石のような瞳を立花はぼーっと見つめてしまう。 「話していただけませんか、貴方が援助をしている組織–––– IDEOに関するお話を」 「貴方は、本当に…… 何者なんですか?」  ノアはそれには答えなかった。  その静かな笑みに、立花は固唾を呑んだ。
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