劇薬

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劇薬

「それにしても安楽夢とはねぇ。そんなに思い詰めてたなんて、気づかなかった」  事務所でチョコレートシロップをたっぷりかけたカフェモカを大事そうに飲みながら、エマが呟いた。  安楽夢はここ数年で急速に広まっている、その名の通り安楽死の一種だ。希望の夢を見せながら致死量の薬剤を投与する。この国で安楽夢は終末期医療とロッド患者にのみ適用される、それ以外は違法だ。  しかし国も大々的に検挙は行っていないので、医師免許さえ持っていない連中が好き勝手なプランを展開している。『安楽夢サイト』なるものも幅を利かせている始末だ。  国も諦めているのだろう、それ程までに世界はに取り憑かれている。  安楽夢はそれ即ち今際の際に見る夢だ。もうロッドの心配もドリーゼを打つ必要もない。なので基本的には再現度に難がある擬似夢ではなく、ただの映像を使用する。  その人が思い描く理想の世界を精巧に映し出しながら安楽剤によって死んでいくのだ。  しかし中には、敢えてロッド直前の状態にした上で擬似夢を見せる事で、脳に強い衝撃を与え死に至らしめるという輩もいる。これは紛れもない殺人だ。  ところが、そんな馬鹿げたプランを望む者もいるのだ。最後くらい脳波を気にせず好きな擬似夢を見たいのだそうだ。  擬似夢への最後の抵抗だと彼らは言うが、ノアには全く逆の印象を抱かせる。  死ぬその時まで、擬似夢に縛られている。それは、擬似夢の奴隷に違わないと。 「絶対に、言うこと聞いちゃダメだかんね」 「言われなくても分かっているさ。許せないよ全く。リリーは僕がイエスと頷くとでも思ったのか」  他人の人生に責任は持てない。安楽夢を望む人間に、馬鹿なことは止せという権利は自分にはない。ノアもそれは重々分かっていた。  しかし、己の夢で死にたいなどと宣う人間に言えることは一つしかなかった。 「僕の夢を見たけりゃ生きろ。僕の夢は、生きたいと願う人の為にあるんだ」  それはまるで、怒りと祈りが混じり合ったような声音であった。
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