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今この瞬間に消えてしまうかもしれない祖父に、私は何もできなかった。今日の買い物みたいに、与えるだけ与えていなくなろうとしている。そんなの嫌だよ。恩返しさせてよ。成人式の着物は何色かな、最初の酒はじいちゃんとだぞって、気の早い話をしていたのに。中学の制服も見せてないじゃん。その次は定期テストでいい点取って得意気な顔を披露する予定だったんだよ。ねえ。まだ、駄目だよ。ねえってば。
何時間そうしていたか。おじいちゃんは静かにこの世を去った。
気が早いよ。
立ち尽くした私を時々気遣いながら、看護師さんが祖父の体をきれいに拭いている。
ねえ。おじいちゃん。一人でだって生きていけるから心配いらないよ。さっきはつい取り乱しちゃったけど、この日が来ることをずっと前から覚悟してた。だから、大丈夫。
そうやって言い聞かせて平静を装わないと、崩れてしまいそうだった。
何度もしたシミュレーションは意味をなさなかった。
その辺の人よりも孤独に慣れたつもりでいた。
後悔しないようにと、接してきた。
それなのに、空っぽだ。何も見えない。見たくない。
「……した」
「木下」
誰だろう。もう誰かに呼ばれることはないはず。
「だから、忘れるなと言っただろう」
そこでようやく意識が戻った。
「あ、先生」
「あ、じゃない。手続きとかは僕に任せてくれればいい。取りあえず遅いから帰ろう」
驚くほどいつも通りだ。普通は、もっとこう、気まずそうにするものではないのか。
「それから、君を一人にするのは心配だから、一晩泊めてくれないか」
この人は何を言い出すんだ。
「え、いいです。大丈夫です」
「駄目。決定事項」
なら最初から疑問形なんか使わなければいいのに。
「そんなに危うい状態に見えますか?」
「いや、全然。でも、だからこそ心配なんだ」
「どういうことですか」
「とか言いながら、自覚しているんだろう? 君は頭がいいからな」
そうだ。そうだった。確かに青木先生は唯一信頼できる大人だ。だけど、他人のことを簡単に見透かしてくるこの感じも、断る隙を与えてくれない柔らかな強引さも、私は苦手だった。
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