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11月の金曜日、私は戻れなくなった。
その日はカフェにいた。梨恵花は、試験勉強を一緒にしようと誘ってきたくせにずっと暑いだの寒いだの言いながら食べてばかりいる。私たちは朝から席を陣取っていたため、周りの席の面子はどんどん変わっていき、彼女は入れ替わっていく面子を査定していた。
午後8時ごろ、梨恵花がよじよじと近くに寄ってきてコソッと耳打ちしてきた。
「甘奈の隣の席の人、くそイケメンだよ。」
「まじか。」と言って得意のチラ見で右を見る。ウェーブのかかった髪、大きな背中。顔は見えなかったが、フンイキは悪くないと思う。梨恵花の方へ身体をずらして報告する。
「めっちゃいい。」
「でしょ?やばいよね。」
知るか、とは言わない。この子とは、JKライフにおいてボッチにならないように仲良くしないといけない。
「8対2で吸って吐くわ。」
私は大袈裟に腹式呼吸して見せた。梨恵花が笑う、私も笑う。
バイトあるから先帰るね、と言って梨恵花はひらひらと手を振り店を出た。
机に向かう振りをしてもう一度チラッと彼を見る。横顔を拝見できた。長めの前髪からのぞく目は大きく、鼻が高いことがマスク越しにも分かる。確かにかっこいいかもしれない。私は大きく息を吸って残りの課題を進めた。
彼が私側に置いたリュックの中を探る。つむじがこちらを向いていた。二つあるんだ、と思い少しテンションが上がる。もっと新しい発見はないかと彼の方に意識が集中するのを感じた。
あっという間に10時半を過ぎ、店が閉まる時間になったので片付けを始める。彼を意識しているからか、普段よりゆっくり丁寧に片付けは進んだ。
リュックを左肩に掛け、立ち上がる。見納めにと彼の方を見た。
パッと音がした。
アイドルのように大きな目が私を捉えていた。光沢紙のような白さに夜を圧縮した黒丸が浮かんでいる。その閑麗な夜に星を探すように私はじっとそれを見つめた。奥に、欲しいものがある。黒く、重たいそれは、私を深く、深く引きずり込む。この黒さは、重さはなんだったっけ。 ふ、と夜が消えた。彼が瞬きをしたのだ。我にかえり、回れ右してレジへ向かう。目が合っただけ。それだけのこと。
「728円です。」
身体の赤色が顔に集まっているように感じた。6枚の硬貨を出して、お釣りをレシートでぐちゃっと握りドアを引く。
ギッという音と同時に歩き出した。風は満遍なく私の表面を冷やしていく。
ど、ど、ど、と耳の中で鼓動が騒いでいる。信号の赤が私の歩みをやっと止めた。
ビュッと風が吹き、私のボブヘアをめくりあげる。髪をおさえつけて右耳に掛け直した。耳の冷たさが指先の熱さを際立たせる。
なんとなく手元が寂しくて、スマホをいじりながら考えた。
これは、多分あれだ。ヒトメボレだ。ヒトメボレとはこんな感じなのか。こんなに愛おしく想ってしまうものなのか。
鈍く硬い「好き」が臓器をじわじわと押し潰していく感覚に目が潤む。
にわかに進めの青が私を薄く照らした。
スマホをしまい、足を前へ動かす。足が歩き方を忘れたようにふわふわしているのに、アスファルトの摩擦をいつもよりも敏感に感じている。
白、黒、白、、どちらも掠れていて汚いと思った。彼の目とは全く違っている。彼の目はまるで、
「あの!」
どきっとして振り返る。
彼だ。
彼から吐き出される空気が冷たい11月で可視化されている。可視化されたそれは音を帯びた。
「こんばんは。」
また黒い丸に私は引きずり込まれる。抜け出すことはできない。許されない。
彼の目はまるでブラックホールのようだから。
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