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3月20日・卒園式終わり
卒園式の後、地下一階の集会所にいた私は、柱の時計を見た。
もう少しで美雪ちゃんとの待ち合わせの時間だ。
卒園式の日の朝、私は保育室につくと、美雪ちゃんに話しかけた。
『卒園式の後、時間あるかな。私、どうしても渡したいものがあるんだ』
美雪ちゃんは驚いた顔をすると、嬉しそうに目を細めて頷いた。
『うん!』
3月2日以降、美雪ちゃんが私を避けていたのはきっと、
私が彼女を突き倒してしまったからだったのだ。
私は手で持っていた小包を改めて見つめる。中身は美雪ちゃんの衣装だ。
家の物置の奥にあった、彼女の衣装。
彼女にこれを返し、そして伝えたい言葉を伝えるのだ。
ごめんなさい。その一言を。
その時、集会所の入り口から足音が聞こえた。
一瞬高鳴る私の心臓はまもなく、緊張感を帯びた。
入り口に現れたのは、優花ちゃんとその取り巻きだった。
優花ちゃんはゆっくり私に近づくと、私の方を掴んだ。
「最後に、あんたをいじめておこうと思ってね。ついてきたんだ」
きゃははと笑い合う彼女たち。
まもなくして私の頬にばちんという音が鳴り、じんじんとした痺れが頬に広がった。
ぶったのだ。優花ちゃんが、私の頬を。
しかし。
痛くはなかった。
3月2日のあの日を思い出す。
『花実を守れなくなる』。
そう伝えられた私の胸の痛みはこんなものでは決してなかったのだ。
その時不意に、美雪ちゃんに昔言われた言葉を思い出す。
『全く、あんたも言い返さないと、「がおおお!!」って』
物は試しかも知れない。その時私はそう思った。
ゆっくりと顔を上げる、そして私は優花ちゃんをきっと見返した。
「…おお」
「ああ?」
彼女のドスの効いた声に、震える心を握りつぶして、
私は意を決して、思い切り叫んだ。
「がおおお!!」
「っ」
優花ちゃんが怯んだ一瞬の隙を見逃さず、立て続けに私は叫ぶ。
「がおおお!!」
「…おまえ」
「がおおお!」「がおおお!」「がおおおおお!!」
瞳に涙を浮かべながら、何度も何度も叫んだ。
強くなりたい、そんな祈りを込めながら。
数十回の叫びの後、取り巻きの一人が細い声を出した。
「優花ちゃん、もう行こう、怖いよ」
「まだ…」
「がおおおおおお!!」
今までで一番の叫び声を私は出す。
集会所に響き渡った私の声が落ち着きを見せた頃、優花ちゃんはぽつりと呟いた。
「…いくぞ」
まもなくして、彼女たちは背中を向けた。
ーー
彼女達の姿が見えなくなると、私はその場にへたりこむ。
そして荒い息を漏らしながら、私は一人思った。
勝った…、勝ったんだ、一人で、優花ちゃんに。
その時、再び集会所に足音が響いた。
「…美雪ちゃん」
美雪ちゃんは私にゆっくり近づくと、私に微笑みかけた。
「あんなことされたら、私でも逃げちゃう」
「え?」
「優花に、がおおって吠えてるところ、見てたんだ」
思わず顔が赤くなる私。
言い訳を考えていたその時、美雪ちゃんが静かに口を開いた。
「花実、強いんだね」
柔らかな笑みを浮かべた美雪ちゃん。
私は僅かに口元をあげると、小包を持ってゆっくりと立ち上がる。
そして、走馬灯のように蘇る、これまでの出来事を思い出しながら、
彼女に向き直った。
「美雪ちゃん?」
「うん?」
「渡したい、ものがあるんだ。それと…言わなくちゃいけないこと」
えへへと、頬が腫れたブサイクな笑い顔を美雪ちゃんに向ける。
彼女は私の赤い頬に手を当てると、小さく首を縦に振ったのだった。
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