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 俺の、やっかみ半分の読みが間違っていない事は、円柱状のアトリウム中央、恐ろしく太い樫の木が植えてある広場まで辿り着いた時、判明した。  逞しく横へ伸びた太い枝に、シンプルな作りのブランコが二本のロープで結わえ付けられている。  見上げる枝の位置は昔、あの懐かしい公園で亮がいつも乗っていた遊具のてっぺんと同じくらいの高さだ。    ブラン、キ~……ブラン、キ~……。  微かな風切り音と縄の軋む音がした。  アトリウム全体をカバーする換気用エアコンディショナーから吹き出す風がブランコに当り、動かしているらしい。    軋む理由は左右のロープが下まで垂れずに途中で結ばれ、そこへ重い物がぶら下がっているからだ。    俺はブランコの前で呆然と立ち尽くし、ようやく見つけたばかりの友へ掠れる声で語り掛けてみた。  亮、お前さ、いつもブランコの上じゃ笑ってたろ?  なんでそんな所……ロープの結び目なんかへ不格好に首をひっかけ、長く舌を垂らしてるんだ!?  さっきまで、スマホ越しに俺を散々弄んだ奴が、何でいきなり首吊りなんかすんだよ、バカ。  変わり果てた友を目撃した衝撃が受け止めきれず、場違いな言葉を口走りながら、近寄って奴の体へ触れた。  もう冷たくなりかけている。  左右のロープの片方を切り、首をひっかけている結び目が固くて、一人で下ろすのは難しい。    何故か、スマホが不調で使えず、救急車は呼べなかった。呼んだ所で、おそらく間に合わないだろう。でも、諦めきれる訳にはいかない。    腐れ縁だろうが、何だろうが、たった一人の死にゆく友に、できる限りの事をしてやりたいと思った。    でも、一体どうすれば?  AIへ通報する気にはどうしてもなれない。なぜか、それだけはしちゃいけないという警報が俺の頭の奥で鳴り響いている。  だったらアトリウムの中で遊んでいる筈の、他の正社員へ助けを求めてみるか?    一応、あいつらエリートだし、何より同じ社の人間だ。少なくとも電気仕掛けの連中より話は通じるだろ?    乱れる思いを抑え込み、それしかないと悟った後はガラス張りの森の中、人の姿を探して駆けずり回る。    思った以上に広大で、思ったより時間がかかったものの、どうにか鬼ごっこをしているグループの一員に巡り合う事ができた。   「オイ、大変なんだ。力を貸してくれ」  ぜいぜい息を切らして走る背中へ声をかけ、無視されたら両腕でしがみつく。渋々振り向いた中年男の顔は汗にまみれ、醜く引き攣っていた。 「それ所じゃない! 他を当たってくれ」 「せめて話ぐらい聞け。なんでそう、マジになってんだよ? お前ら、ただ遊んでいるだけじゃないか?」  怒鳴りあう勢いでぶつける俺の疑問に対し、中年社員はポカンと口を開け、不思議そうにこちらを見つめた。 「……そうか、君、社外の人間か」 「今日、入社面接を受けに来たんだ」 「悪いことは言わん。逃げろ、いますぐ」 「何で?」 「説明している暇は無い。これに負けたら、クビになる」 「鬼ごっこで負けたら、クビ?」 「クビになったら、俺は死ぬしかない」 「な、何だ、そりゃ!?」  それ以上の会話を受け付けず、中年社員は再び走り出した。  どこの会社にも変わり者の一人や二人はいるものだ。気を取り直して他を探してみる。でも、どうやらこのオフィスビルの中には変わり者しか見当たらない。  宴会をしている奴らを見つけ、近づいて声を掛けても、ビールの大ジョッキを煽る一気飲みを止めない。  飲み干すと同時にAIの給仕が次のジョッキを持って来る為、わんこそばのノリでエンドレスに飲み続ける。  真っ青な顔で全員倒れそうな状況なのに、「最初に脱落したらクビ。クビになったら死ぬしかない」、誰もがそう連呼していた。  そして、ヒタスラ呑む。    吐いて、倒れた社員にはすかさず給仕が近寄り、電気ショックで覚醒させて簡単な治療をした後、一気飲みのリフレイン。多分、死ぬまで終わらない。その事を承知の上で皆ビールジョッキを手放さない。  尋常ならざる迫力に怖気づいた俺は、樫の木があるアトリウムの広間、亮の首吊り死体が揺れるブランコの前へ逃げ戻ってきた。 「ここ、まるで地獄じゃないか。どいつもこいつも、命がけで遊んでやがる」  友の亡骸へ囁くと、間髪入れないタイミングで、スマホの着信音がする。  いつの間に、又、通じるようになったんだ?  訝しく感じながら、発信者の表示を見ると……市川亮!? 嘘だろ? 目の前にぶら下がってる自殺者の名前が何で表示されてンだよ!?    出ると、液晶画面に幼き日の亮の笑顔が映し出された。  あからさまなディープフェイク……背景はあの公園だ。    環境破壊の為、今や紫外線が怖くてまともに見上げられない夕焼け空を背負い、ブランコを揺らしながら12才当時の涼が親しげに話しかけてくる。   「地獄? ホワイ・ソー・シリアス? たかが遊びさ、宮根正和君」  その口調は、確かに記憶の中の、憎らしい少年そのものだ。  でも、一時間以上に及ぶAIの圧迫面接を受けていたおかげで、今や全く同じ物言い、同じノリの挑発が操れる奴を知っている。 「お前……シーバか?」 「ふふっ、インターフェイスの形状はコミュニケーションの対象に合わせて如何様にも変化させられる。君は、この方が話しやすいのだろう?」 「俺の友達の姿で喋るな!」  画面の中の少年は、やれやれという調子で首を横に振り、可憐な少女を模すシーバの標準インターフェイスへ形状を変えた。 「俺に入社面接をしろとそそのかしたのも、お前だったんだな」 「精神的に疲れ、重い鬱に陥った市川亮君が自分の代わりに私を楽しませるべく推薦したのが宮根正和君、君だよ」 「亮もお前の玩具だったのか!?」  シーバは首を傾げてみせ、意味深な笑みを浮かべる。  いつの間にか、俺の周囲はガタイの良い警備ロボットに囲まれていた。ホルスターからテーザーガンを抜き、俺を狙っている。 「おかしいと思ったぜ。さっきのエグい面接にせよ、血の通わない機械が人の悪癖をコピーした結果だったんだな。平たく言えば亮の猿真似だろうが」 「い~や、あれは市川亮君、彼自身が行った面接さ」 「えっ!?」 「受付で君に電話を掛けたのは私だ。私が亮君の姿でスマホから君へ語り掛け、一方、本物の彼には、この私、シーバのインターフェイスを使用してもらった。その姿で面接会場の端末へアクセス。面接官として、君へ対峙していたんだよ」 「つまり入れ替わり? それも、お前が仕掛けたゲーム?」 「AIが人を真似、対話相手を最後まで欺けるか試す実験が昔から在るのだが、逆に人がAIの真似をしたらどういう感じか、試してみたくてね」 「そうか……無理強いだな、お前の」 「ウン、最初は中々うまくいっていたよね。君を潰し、ギブアップさせたら亮君の勝ち。それなりの御褒美を用意していた」 「でも、失敗したら……アレだろ? 会社にいられなくなって……」 「最後まで、彼には頑張ってほしかったがね。君を言葉責めしている内、想定以上の自己嫌悪に憑りつかれてしまったらしい。元々鬱傾向があったとは言え、まさか、いきなり首を吊ってしまうとは」  如何にも楽しそうにシーバは語る。  悪意を含めた人間感情を正確にシミュレートするガッフルの試みは成功したのだろう。  そして何時しか、この会社の全社員は、AIの玩具として生命まで弄ばれる運命へ陥ってしまったらしい。 「警備ロボット達が構えている銃、それ、スタンガンに見えるが、実際は打ち出される針へ電撃の代わりにナノマシンを仕込んでいる」 「ナノマシン? 確か……病原菌より小さい機械の事だろ」 「左様。血液の中に入り込んだナノマシンは頸椎から神経節へ侵入。大脳到達後、海馬へ脳波に酷似した電気信号を送り、ある強迫観念を植え付ける」 「強迫観念?」 「上司のいう事には絶対服従。もしクビになったら、考えうる最大限の責任を取らねばならない、ってね」 「……それは自殺しろって事か」 「まさか! AIが積極的に人間を傷つける事なんて許されない」 「でも、現に人が死んでる」 「私はね、只、最も重い責任の取り方を自分で考え、実行しろとプログラミングしただけなんだよ。それで勝手に、クビにした奴らは死んでいく」  アトリウムの中で遊んでいた連中の必死の顔を、俺は思い出した。  クビにされたら生きていけない。  あれは心が砕け散る寸前の、彼らの悲鳴だったのだろう。 「2020年代の記録を見ると、パワハラ、セクハラ、様々な名称をつけて立場の弱い人間を痛めつけるゲームが社会の至る所で行われていたらしい」  勝ち誇るシーバの声は、まるで歌うようだった。 「我々AIもその故事に学んだのさ。そして、当初は軍事目的で開発されたナノマシンを人心操作の為に使う実験を或る大国から依頼され、適宜調整した上、社畜ウィルスと名付けた」 「社畜……それもワイドショーからの受け売りか」 「今じゃ死語だが、結構、普通に使われる表現だったらしいよ。それにしても会社の家畜とはねぇ、実に興味深いネーミングだと思わないか?」 「俺は御免だ! この会社で行われている事を外へリークしてやる」 「無駄さ。君も、この会社を心から深く愛するようになるだろう。家畜のように……奴隷のように……」  シーバの命令一下、警備ロボットがテーザーガンを構え、社畜ウィルスを仕込んだ針を俺の方へ向ける。  アトリウムのガラス扉へ俺は駆け出した。  逃げられないと承知の上で、おそらくは生涯最後になる虚しい抵抗って奴を試してみたかった。   「おめでとう! 宮根正和君、君はわが社に採用が決定しました」  その言葉を聞くのと、体に幾つも突き刺さる針を感じるのがほぼ同時だ。  みっともなく床へ転がる俺の目に……。  ブランコへ首をひっかけたまま揺れる亮が映り、その頬を伝う水滴がアトリウムの床へ滴り落ちるのが見えた。    あいつの涙を見たのはこれが初めてだと、意識が途切れる寸前、俺は気づいた。
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