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——その、遠目からでも一瞬で目を持っていかれるほどに凡人離れした、ネイビーのスーツを着た美しい男。
そのシックながらも華々しい姿がすぐに綾乃の視界に入った理由は、何も美しさだけではなかった。
なぜなら……
「(あ、あ、あ、葵っ?!)」
それは紛れもない、自分の恋人の姿だったからだ。
しかし、そんなことなど露知らずの真世はといえば……ただただ、まるで女子高生のように目を輝かすのみだ。
「あの人、絶対一般人じゃないよね? あんなイケメン初めて見たかも……! あ……でも向かい側にはしっかり美女が座ってるし、現実って所詮こんなもんよねぇー」
……なんということだろうか。
まるで体中の血の気が引いていくようだ。
しかし、それとは裏腹に沸々と熱い何かが煮えたぎり、動悸とともに全身の血圧が上昇していくような感覚に体を乗っ取られる。
もう我慢ならない思いで綾乃は、震える手をテーブルについて静かに席を立ち上がった。
「……いーえ、バリバリの一般人よっ! あの人は」
「え?」
「だってあれが……あれが私の彼氏なんだからっ!」
「へぇ、そうなんだぁ………って! ええーーっ?!」
目をまん丸にして驚愕する真世を背に、綾乃はテーブル席から通路に出た。
——その一方で、葵は……
向かい側の席に座って熱い視線を向けるフォーマルドレスを着た美女をまっすぐに見つめ返し、妖しく微笑んでいた。
「じゃあ、本当に俺に決めてくれたんですね?」
「ええ、もちろんよ。あなたほどこの私の好みを理解してストライクゾーンを攻めてくれる人なんて、他にいないんですもの……。それに、あなたほど魅力的な男もね。もちろん、お礼は色をつけてお返ししますから」
そう言って、美女はテーブルの上に置かれた葵の手の甲をそっと握った。
「だから……お願い。今夜こそ私のものになって欲しいの……っ」
美女のその手の上からさらに手を重ねると、葵はそれを握り返した。
「ダメですよ、植田さん……。俺みたいなただのデザイナーの端くれなんかに夢中になれるほど、貴女はお暇な方ではないでしょう? だからもっとじっくり時間をかけて深めていきたいと考えているのですが……いけませんか?」
「そ、そんなことはないわっ……! あなたのためなら私、いくらでも待つから……!」
目を潤ませた美女が身を乗り出したその時。
ツカツカと近づく殺気立った足音がそのテーブルの横で止まると同時に、冷静な女の声が二人の空気を切り裂いた。
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