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ベッドに横たわる葵の脇の下からピピッと音を鳴らす体温計を引き抜き、それを確認して綾乃はため息をついた。
「38.7℃……か。んもう、全然大丈夫なんかじゃないじゃないのっ!」
その熱い頬にそっと手を添えると、当人はなんとも呑気な笑顔を返してくるのだ。
「危うく腹上死するかと思ったよ」
「……バカッ。まだ具合悪いのにあんなに……(ゴニョゴニョ)するからでしょっ!」
「だって……お前のあんな感じてる顔見てたら止められなかったんだもん」
そう言って薄笑みを浮かべたガラス玉のように澄んだ瞳に見つめられ、綾乃は口を紡いでから慌てて目を逸らす。
「も、もうっ……元気なんだかそうじゃないんだかっ……。まだ疲れが取れてないんだから、ちゃんと横になって休んでなきゃダメなんだからねっ?」
視線だけを感じていると、不意に彼が言った。
「……どうしよっかなー? そういえば、まだ今日はやり残した家事がいくつかあったっけかなー。でもまだフラフラするし、弱ったなぁー……」
そのわざとらしくも貴重な情報を耳にした途端、綾乃は目の色を変えて葵に飛びつくのだった。
「ほ、ほんと?! あ……っ、じゃあ私に全部任せてよっ! チョチョイのチョイで終わらせてやるからっ!」
「うん、よろしく!」
「やっぱりこんな時に必要なのは女手よねーっ!! 男より女の方がタフっていうし!」
「うんうん、そうそう!」
「……あ、そうだ! お腹空いてない?! 夜ご飯まだだったでしょ?」
「うんうん! ……え゛っ?! い、いや、そのっ……! じ、実はまだあんまり食欲もなくて——」
「いーのいーの! ちゃんと消化に良いもの作ってあげるからっ! ……ねっ?!」
「………。」
究極のメシマズ女を目の前にゲッソリとやつれる葵をよそに、綾乃は心底ウキウキしていた。
——やっと葵の役に立てる。
一人の女として、恋人として、そして叶うものならば、伴侶として……。
浮かび上がりそうなほど軽い足取りで、綾乃はキッチンに向かう。使った後のグラスやお皿を洗うことがこんなにも嬉しくて、楽しく感じたのは生まれて初めてだ。
そう、いつもの仕事の疲れを引きずったまま「するべきこと」をただこなしているだけの感覚がまるで嘘のように——。
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