Episode 0 プロローグ

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Episode 0 プロローグ

 月のない夜空に怒号と喧騒が響き渡った。 女、子どもの泣き叫ぶ声と、悲鳴が断末魔のように響いていた。民家は赫く燃え上がり焼け落ちた。それでもなお、紅い炎はすべてを飲み込むように膨れ上がり、爆ぜた。  苦し気で、悔し気なうめき声が聞こえた。それは、生きながら炎に焼かれながら死にゆく者の声だった。  閑散とした村ではよくある話だったのかもしれない。この村もまた、賊に襲われたのだ。賊に襲われ、金目のものと村の女たちを奪い、村を滅ぼされた。よくある話と言えばよくある話だった。  被害が大きい場所より少し離れた瓦礫の影に、端正な顔立ちの男が倒れていた。  綺麗な呂色していたであろう少し長めの髪は、血と埃で汚れていた。雪のように白い肌も、その大半を血で汚し、視界は紅く染まっていた。それでも、元々の素材が美しいせいか、一種の芸術品のようにも見えた。  男は小さく呻き、生への執着心を見せつけるように地面を這って移動しようとしていた。  そんな男の存在に気が付かず、破壊の限りを尽くして飽きたのであろう賊たちは目の前を通り過ぎていった。その音はあまりにも汚らしかった。  男はそれを見届けると、動かない下半身を激痛に耐えながら引きずりなら地面を這った。生きたまま、全身の骨を砕かれているような痛みを抱えながら這い続けた。男は、痛みより、賊への憎しみで動いていた。  自分たちは静かに、平和に暮らしていただけなのに。  何故、あのような恐ろしく、欲望だけを満たそうとする集団に殺されなければならないのか?  ふと、男の耳に馬がこちらに走ってくる音が聞こえた。男はとっさに身を固くし、息をひそめた。  どんどん、影が近づいてくる。逃げなければと思うも、身体が上手く動かない。男の心に絶望が広がった。所詮、世界は理不尽という力で歯車が回っているのだ。ここで死んでも仕方ない。  諦めと同時に、本当にそうだろうか、とも思った。  足音が自分の方へ近づいてくる。山賊の汚らしい足元とは違う、品の良い革靴のつま先が目の前に見えた。  先ほどの賊ではないのか。希望めいたものが頭によぎった。 「良かった、生き残りがいた……」  聞き覚えのある渋い声に顔を上げると、そこにいたのは数日前に村を訪れ、滞在していた、旅の宝石商だった。  淡いシルバーの長髪を後ろに束ね、少ししわが浮き出ているが、陶器のように綺麗な白い肌。無機質に見える、青いサファイアのような瞳は、村の娘たちだけではなく、村の人々を魅了していた。男も、そのうちの一人である。身に着けている品の良い深緑色の上着と茶のベストは彼の美しさをより引き立てていた。 「どう、して……ここ、に?」 「偶々、道の途中で村が燃えているのが見えたんだ」  旅人は男を起こし、無表情に見えるそれは男を心配しているようにも見えた。彼は、怪我の具合を確認しながら続けて言った。 「それで、慌てて引き返したらこのありさまだ……」 「賊……会わ……かっ……た?」 「賊? いや、会わなかったと思う……」 「そう、か……」  男は、支えてもらいながら、空を見上げた。小さな星粒が青い布の上に散らかった小さなダイアモンドのようだった。そのダイアモンドを燃やそうとするように、紅蓮が、紅い炎が空へと上がっていく。 「この村の空は美しいな……サファイアの中の不純物が星のように煌めいているようだ」  旅人は空を見上げそう呟いた。男は旅人の言うことに頷くようにゆっくり、小さく反応した。  本当にきれいな村だと思う。それを、山賊どもが、焼け野原に変えた。静かで美しい村を破壊した。気の知れた村の人々。愛しい子どもたち。そして、夜空に浮かぶ月のように美しかった妻。  自分の村が、人が、すべて、赤色に染まっていった。  どうして、こんなにも世界は理不尽なのだろうか。そんな思いが再び頭に浮かんだ。それと同時に、ある疑問が頭の中を支配した。 「俺たちは……」 「あまりしゃべるな、傷が悪化するぞ」  虚ろな瞳でしゃべろうとする男を旅人が止めようとした。まるで、気がついてはいけない、こちらに来てはいけないというようにも聞こえた。 「なあ……あんたは、どう思う、」 「どう、とは? 」 「この惨劇、をだ……」 ――静かで美しい村に平和に暮らしていた小さな命が、一粒の穢れた欲望によって壊されていくこの惨劇をどう思う? ―― 「身勝手で、理不尽だなとは……思う」 「そう、思うよな……」  男は力なく笑うと、小さく呻いた。旅人は動くな、と再び注意するが男は動こうとすることをやめなかった。 「どうせ、助からない……復讐も、できない、まま……」 「まだ望みを捨てるな! 生き延びられるかもしれないだろう? 」  必死な形相で叫ぶ旅人に男はゆっくり首を振った。  悔しいがここで自分の灯火は消える、男はそう思った。何となくわかるのだ、命が終わっていく感覚が。 「……本当に、お前はそれでいいのか? 」  まるで、深くて暗い海の底から響き渡るような、冷たく、低い声で旅人は男に問いかけた。  男は驚いて旅人の顔を見ると、何も感じ取れないくらい無表情で冷たかった。だが、そのサファイアの様な瞳は、冷たい炎のようなものが燃え、渦巻いているようだった。  男は血とは違う冷たい何かが背筋を伝うのを感じながら、乾いた唇で何が言いたい、と呟いた。 「お前は本当にそれでいいのか? 復讐も果たせず、惨めに野垂れ死ぬ、本当にそれで納得がいくのか? 」  男はその言葉に怒りを感じたのか、旅人の胸倉を力なく掴んだ。先程までの虚ろで何も映していなかった瞳は、怒りで燃え上がっていた。 「納得……できる、わけ、ねえだろ……」  男は生命力が付きかけているはずの身体が、燃え上がるように熱くなるのを感じていた。どす黒くて濁り切った何かが湧き上がり、支配していく感覚。 「愛する、もの……全て、とられて、納得できるか……」 「執念深さは蛇並みだな、面白い……」  旅人は張り付いたような冷たい表情のまま口を三日月に歪めた。 「お前に選択肢をやろう」 ――愛すべき物を奪った者たちに復讐する力を得る代わりに、未来永劫生き続けるか、復讐もできないままここで死ぬか、どちらがいい? ――  男は悩むことなく選択する。否、元から選択肢なんてあってないようなものだったのかもしれない。 「俺に、復讐できる力を……力をくれ! 」  男は最後の力を使って叫ぶ。  旅人はそれを聞き届けたといわんばかりに笑った。サファイアの瞳が炎に照らされて怪しく煌めいていた。  風前の灯火だった人間の最期と僅かに残っていた村の形跡は、ガーネットのように紅く燃ゆる炎に消えていった。
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